2014-01-01から1年間の記事一覧
須賀敦子訳ウンベルト・サバ詩集より。 その人生に響きあう声のかけら - トリエステには、閉ざされた悲しみの長い日々に 自分を映してみる道がある、 旧ラッザレット通りという名の。 (「三本の道」より) - ぼくは知っている、この想いの深いところに、こ…
昨日よりプラハ、旧市街をうろうろ。 カフカの生家を訪ね、(今はカフェになっている)、スペインシナゴーグ脇のカフカ像を見上げ、今日はカレル橋を渡り、カフカ博物館へ。すっかりカフカ観光。 city of K プラハの街をそう呼ぶのだそうだ。 でも、カフカ…
『移動と離脱 バタイユ・ブランショ・デュラス』西谷修 1997年 せりか書房。 ふっと手にとって読んでみれば、あの頃の懐かしい匂い。なかなかに面白い。というか、たぶん、1997年に読んだならわからなかったであろうことが、水が染み入るように、わかる。こ…
「書くというのは語らないことよ。黙ること。音をたてずにわめく」とマルグリット・デュラスは「書く」と題されたエッセイに(『エクリール 書くことの彼方へ』所収)に書いた。さらには、こんなことも。 「書くという行為は未知なるものよ。書く前は、自分…
カタリと芸能と神について考えている。それを考える私の原点は2000年代に通い続けた八重山の祭祀と芸能の風景がある。川平のマユンガナシ、宮良のアカマタクロマタ、四か字のアンガマ。それは芸能の根源的な姿を今に伝える場。折口信夫に様々なインスピ…
「吽」字には、一切の世界が集約されている。と空海。 空海は「吽字義」の最後を、歓喜義で閉じるという。 復次に等歓喜の義とは、此の吽字の中に訶字有り。是れ歓喜の義なり。上に大空有り、是れ三昧耶なり。下に三昧の晝の字有り。是れ亦三昧耶なり。二の…
メモ1 『雪国の春』(角川ソフィア文庫)のうちの「東北文学の研究」の最後のほうに<盲目の力>という項がある。 「盲人はことに目に見えぬものの音響を伝えるに、適していたのではなかったか」 「諸国に分布した逃流説話の一つで、多くは陀羅尼の功徳によ…
小沢昭一『写真集 昭和の肖像<芸>』をしみじみと読む。 どの風景もどの人もページを繰るほどにますます懐かしい。 昭和とは、この世から姿を消したモノたちへの郷愁の代名詞なのだろうか。 その郷愁すらもあとかたもなく消えゆく時代に私たちは生きている…
あたらしい試みのお知らせです。水族館劇場とか、その座付作者の桃山邑さんとか、 役者の千代次さんとか、琵琶の声とかにそそのかされてしまって、 カタリのことをあれこれ考えたり、説経節「さんせう太夫」の道をたどったりするうちに、 3・11の安寿がさ…
3月からひと月、引越し月間だった。自分自身6年間に5回引越しするのはどうかとは思うのだが、これはDNAのなせる業なのだろうか、娘もこの6年間での4回目の引越しを近々敢行、気がつけば弟夫婦も先週引越しをしていた。まったく腰の座らん一族。 度重…
詩人佐々木幹郎さんの『東北を聴く−民謡の原点を訪ねて』(岩波新書)を読む。 帯にこうある。「修羅場を潜り抜けてきた語りのことばの強さ。聴く人がいるときに始まる物語。それを聴き届け、その声を編むことによって、新しい津軽三味線の「口説き節」(語…
"サムルノリ創始者名人李光壽(イグァンス) サムルノリ本郷全国ツアー2014" 4月5日東京 東京文化会館小ホール15時開演 8日大阪 クレオ大阪中央18時30分開演 9日広島 上野学園ホール19時開演 11日横浜 関内ホール19時開演 <演目> "ピナリ" "アンジュンバン …
京都・朱雀権現堂(現在は権現寺)。 JR丹波口駅から歩いて10分ほど。 このあたりは、街の空気がざらざらとした感じ。 京のはずれ、といった風情。路地の奥にひっそりと、安寿と厨子王ゆかりの身代わり地蔵尊。 厨子の中のお地蔵さんを見ることができるのは…
丹後由良へは、京都から西舞鶴に向かい、北タンゴ鉄道に乗り換えていく。 由良川にかかる赤い鉄橋を電車わたる。 「ゆらのとを わたるふなびと かじをたえ ゆくえもしらぬ こいのみちかな(そねのよしただ)」 丹後由良駅。背後に由良岳。かつて、由良長者千…
わけあって来月早々また引越し。今のところは私にしては比較的長期の二年間住みました。 乱歩に負けない引っ越し魔ぶりは収まらず、この6年間で6回目の引越しとなる。 引越しで一番困るのは本。荷造りする時も、荷解きする時も、本棚から出した本は床一面…
村上春樹『海辺のカフカ』より。 「すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。in the dreams begin the responsibility ーまさにそのとおり。逆に言えば、想像力のないところに責任は生じないのかもしれない。…
もう2週間ほども前のことだけど、2月11日、うたげの会で赤坂憲雄さんと藤井貞和さんの対話を聞いた。「演劇に舞台が真に必要とされる理由に、亡霊に居所を与えるということがあるのではなかろうか」と藤井貞和氏の「物語演劇論」のレジュメの言葉。亡霊はな…
草津・栗生楽泉園の闘う詩人谺雄二の本作り、佳境。 聞書をまとめていると、時折、思わず、その言葉の切なさ、深さ、重さに涙ぐむ。 秋山駿『地下室の手記』を眺めている。以下、抜き書き。 - 論理を捨てよ。内部の音楽を鳴らせ。沈黙するもの。 絶対に沈黙…
谺さんの詩を読み返している。 この3篇は、社会復帰が叶わぬまま、 まだ青年時代に、青年の心で書かれた詩。 青年時代、容貌はすでにハンセン病の後遺症で年老いていたのだと 谺さんは言った。 「石」だーれもいない この尾根にだーれもいないみーんな死ん…
1月18、19日と、みすず書房の川崎万里さんとともに、群馬・草津温泉近郊の国立ハンセン病療養所栗生楽泉園に詩人谺雄二を訪ねてきた。今年5月のハンセン病市民学会に向けて谺雄二全文章(というわけにはいくまいが、心意気は全文章!)を一冊の本にま…
2013年から2014年へ。黒川創『国境 完全版』を読みながらの年を越しつつ、われら植民地人と文学とに思いをはせた。黒川さんは西成彦さんのこんな言葉を引用している。 「いうまでもないことだが、われわれは誰しもがなにがしかの形で植民地人である。被征服…