2017-01-01から1年間の記事一覧

文字を持たぬ世界

「文字をもたない世界にあっては言葉は神聖なものであり、威力あるおのと考えられた。呪言が相手の人間に不幸を与えると考えたのもそのためである。また、人々が不幸について語るとき「これは自分のことではないが……」と前置きして話しだすのも、その不幸が…

文字をめぐって

明治39年(1906)に児童就学率は96.4パーセント。 文字の浸透。 「学校教育は国家の要望する教養を国民にうえつけることであったが、それは庶民自身がその子に要求する教育とはちがっていたということに大きなくいちがいがあり、しかも両者の意図…

伝承をめぐって

★かつて、小豆島四海村小江の若者組では、なんと原稿用紙にすると85枚になる「イイキカセ」を加入にあたって覚えさせられたのだという。 正月二日に若者入り、そして十五日までには覚えた。(昭和25年当時) 「言葉によって伝承せられる社会では、言葉は…

足尾銅山の煙害と、山の乱伐で滅びた松木村跡(松木沢)に行ってきた。

風が吹いていた。山と山に挟まれた道をゆく、その後ろから、どっどど どどうど どどうど どどう、唸りをあげて風が追いかけてくる。 又三郎だな。 山を風が駆け下りてくるのが見える。風が蹴立てた土埃が風と一緒に山肌を走ってゆく。風の音は、ここにある。…

文字を持つ伝承者(2)高木誠一翁(1886〜1955:明治19年生)福島県平市神谷

高木誠一翁の家について 「よくはわからぬが、もともと加賀白山の山伏であったらしい。それがこの土地におちついて、白山神社をまつり、村を神の加護によっていろいろのわざわいからまもる役目をしてきた。……家の神であった白山社は村の氏神になってしまった…

 文字を持つ伝承者(1)田中梅治翁 ――伝承における「明治二十年問題」!!

宮本常一曰く、 「文字を知らない人と、文字を知る者との間にはあきらかに大きな差が見られた。文字を知らない人たちの伝承は多くの場合耳からきいた事をそのまま覚え、これを伝承しようとした。よほどの作為のない限り、内容を変更しようとする意志はすくな…

庭田源八翁の書いた「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」から立ち上がる声に誘われて、渡良瀬川のほうへと小さな旅。

旅の記録は、↓ にある。http://omma.hatenablog.com/ 足尾銅山が原因の洪水と鉱毒で鳥獣虫魚も死に絶え、人も移り住んでゆく、足利郡吾妻下羽田。「ニ十歳以下の者この例を知るものなし」と、 鳥獣虫魚も人も豊かに暮らしていた頃の下羽田の土地の記憶を語る…

いまを生きるカタリを考えるために。その2 石垣島から

石垣島のユンタの名手山里節子さんは、昭和12年生まれ。生後間もなく、母親が病気で郷里の新潟に療養に戻ってしまったために、明治生まれの祖母に育てられた。 だから、節子さんは、明治の、日本語を話さなかった石垣島のおじいおばあたちが話していた島言葉…

いまを生きるカタリを考えるために。 その1

敗者の鎮魂の物語として「古事記」を読み解く三浦佑之氏 「いくつもの日本」という問題意識で語りを読み解く赤坂憲雄氏● 対話抜き書き<市と物語をめぐって> 三浦「市という交易の場所は、話の交易の場所と理解していい」 赤坂「お話というのは閉じられた空…

 佐渡情話を人々は愛したけれども……

米若という浪曲師は、とにかくセリフ回しが下手だった、と語ってくれたのは曲師澤村豊子師匠。豊子師匠曰く、 「米若師匠が佐渡情話を演じているとき、台詞部分になるとお客さんが聞いちゃられないやって、タバコを吸いに外に出ちゃうんだよ。で、節が始まる…

無縁と芸能 いまという時代を生きるために。

2017年10月23日。 戦後最悪の権力の、横暴極まる衆議院選挙大勝利の翌日に読み直す『無縁・公界・楽』最終章「人類と「無縁」の原理」。 網野善彦いわく、 実際、文学・芸能・美術・宗教等々、人の魂をゆるがす文化は、みな、この「無縁」の場に生れ、「無縁…

「(足尾鉱毒事件) 鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」を読む

下野国足利郡吾妻村大字小羽田の老農夫庭田源八の声を書き写す。 20年前には確かにそこにあったものを語る声は、いまそれが幻となり、なかったもの、なかったことにされてゆくことを、そうして公の記憶が形作られていくことにこらえきれず声をあげている。小…

10.九州山中の落人村

「記録を持っている北里家の方では記録を見れば「そういうこともあったか」と思うことはあっても、日ごろはすっかり忘れているが、記録を持たない世界では記憶に頼りつつ語りついでいるためか、案外正確に四五〇年前以前のことを記憶していたのである」 これ…

岡本太郎『神秘日本』を読みつつ、アフリカのモザンビークのマコンデ族の呪術師たちのことを思った。

9月24日 自由が丘で、「アート巡礼特別編 アフリカの呪術と音楽 モザンビーク・マコンデ族を迎えて」に参加してきた。 「マコンデ」と聴いて、呪術と言われて、私は思わずガルシア・マルケスの『百年の孤独』のマコンドを想い起こした。マジックリアリズム。…

チェーホフ「かもめ」より

あらゆる生き物のからだは、灰となって消え失せた。永遠の物質が、それを石に、水に、雲に、変えてしまったが、生き物の霊魂だけは、溶け合わさって一つになった。世界に遍在する一つの霊魂――それがわたしだ……

「立ち現れる神」

今日から、「大系 日本歴史と芸能」を一巻から見てゆく。とどろとどろと鳴神も、ここは桑原よも落ちじ落ちじ宮田登の序論に曰く 神歌には、それぞれおおらかな風俗(くにぶり)が表現されている。「この里はいかなる里か あられふる森か社か神か仏か」。森で…

『秋川の昔の話』(平成4年 秋川市教育委員会発行)P66〜67から。

むかし、もの売りや旅芸人が、秋川にまわってきた。時が移り産業や文化や生活が変わるにしたがい、途絶えてしまい、今はほとんどみることができない。●こんな前置きのあと、回想されるのは、「朝鮮アメ売り」「よかよかアメ」「ピートロアメ」「毒消し売り」…

金石範 気になるメモ

金石範「在日朝鮮人文学」より

ことばが開かれたそのときはすでに想像力の作業によって虚構の世界が打ち上げられたときであり、虚構はことばに拠りながら同時にことばを越えたものとしてある。 それはまたイメージ自身がことばに拠り、それに拘束されながら同時にそのことばを蹴って飛び立…

「途上」は1974年に『海』に発表。

組織と個の関係。 「離脱すると廃人のようになるといっても大げさではない」 問われているのは、 在日朝鮮人が日本語で書くということ、 日本語で組織を批判をするということ、 その組織は国家になぞらえられているという現実があるということ、 朝鮮人の共…

「詐欺師」は『群像』1973年12月号に発表。

主人公の白東基は、まるで阿Qのようだ。 魯迅の影をよぎる。ケチな詐欺をしたがゆえに、共匪(北のスパイ)の主謀者にでっち上げられた男が、すべての希望を断たれたことが分かった瞬間に、おれは共匪だ、主謀者だと、そう名乗りをあげることで、小さかった…

「トーロク泥棒」は『文学界』1972年5月号に発表。

制服制帽をトーロク(外国人登録)代わりにし、友人のトーロクを盗んだ男。 密航船の飲料水用の予備の貯水タンクに潜んで、予定がのタンクへの注水のために溺死した男。 死にかけている魚と、溺れる魚としての、ひとりの男がいる。 「そのとき、水槽の中の魚…

1971年『文学界』に発表された「夜」は1960年大阪が舞台だ。

火葬場のある町、母の死、そして北朝鮮への帰国運動……。 隠坊、癩者、朝鮮人、川向うの人々。 火葬場にて。 「すすけて真っ黒になった凹凸のはげしい高い壁が天井に接して目に入ってきた。そこには無数の嬰児の大きさをもったざらざらで粗雑な仏像ようのもの…

東京都あきる野市渕上 石積み(まいまいず)井戸

今はもう使われていないけれども、水は滔々と湧いているようだ。 あめんぼが水面を走っていた。

 東京都羽村市五ノ神 まいまいず井戸

◆羽村駅 ◆五ノ神社は駅のそば。西友の脇。 神仏分離令以前は熊野社。熊野五社大権現が祀られていたという。 今は、天照皇大神、素盞鳴尊、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、伊佐那美命、事解能男命(ことさかのおのみこと)が祀られている。 ◆五ノ神社前…

この「長靴/故郷/彷徨/出発」の4部作は、今再読すると、ひどくリアルだ。

発表は1971年から1973年。 舞台は終戦間際から戦後。 主人公は大阪に生まれ育った朝鮮人二世。 この植民地の民の息子は、「皇国臣民」であることと「朝鮮人」であることの間で宙づりになっている。 植民地支配下の朝鮮に穢れなき民族の姿を夢見てい…

金石範作品集?より「糞と自由と」。そのなかに流れる朝鮮民謡「トラジ」

戦争末期、徴用されてきた北海道のクローム鉱山から逃亡を企てた李命植は、山すその茂みに身を潜ませていたそのとき、声を聴く。 そのとき、なにか人の声がしたと思った。それは彼にどきんとさせなかったほど、ふしぎな声だった。風にのってそれは歌のように…

シカラムータの大熊ワタルさんの連載がはじまった!

「「生き生きと幸せに」――チンドン・クレズマーの世界冒険」。 これが連載タイトル。 第一回は、「NYにエコーしたイディッシュの記憶」 これが実に面白かった、なにより刺激的。音楽っていいなぁ、ほんとうに。 クレズマーとは、東欧系ユダヤ人の民衆音楽…

四月十七日夜 篠田正浩監督、亀戸にて、「語り」を語りつくす

今宵もまた遅くまで夜の街を野良犬のようにうろうろ、昼間の生暖かさは、夜には冷たい雨に変わっていました。今夜は亀戸で映画監督篠田正浩の、「語り」をめぐる話を聞いてきたのです。篠田正浩といえば、私にとっては「心中天網島」「はなれ瞽女おりん」「…

物語化を拒否する「傷」がある。

与えられる物語ではなく、新たな物語を創造しようとする傷がある。 傷は永遠の底なしの穴としてそこにある。物語はいつも「穴」から生まれる。 古い物語を飲みこんで、噛み砕いて、捨て去る穴。 それ自体は物語になりようもない、取り返しのつかない穴、ある…