2018-02-28から1日間の記事一覧

第3章「植民地の民衆」より。 朝鮮人部落のこと

●興南は、朝鮮でも特殊な環境でした。日本人は全部、社宅に入ってしまうか商店街に住み、周囲の朝鮮人部落とは隔絶していた。 ●ヨボ部落の汚いことは、見なければ話にならんです。たいがいの家が豚と犬とを飼っとるですよ。豚と犬がそこら辺に大便する、小便…

第3章「植民地の民衆」より。 日本人社宅の奥さんと朝鮮のオモニの朝鮮語レッスン

「オクサン、オデミ」 「オデミ、オッチェ(オデミてなあに)」 「オクサン、ドコスンデル」 「五区ヨ、タンシン、オリマッソ(あんたはどこ)?」 「タンシン、チョッコン、チョッコン(すぐそこ)」 「チョコマン サラメ オルマ(子どもは居るの)?」 「…

第3章「植民地の民衆」のうち 「カフェと遊郭」。そして植民地をめぐる想像力のこと。

「朝鮮じゃみんな飲みよった。飲まん人間は居なかった。行くのはほとんどカフェだった。九竜里に行けば、ドラゴン、春雨、楽園会館。天機里に行けば、赤玉、オリオン、金春、武蔵食堂……」 「興南は遊郭が賑わったもん。松ヶ野町というて、柳亭里社宅の手前が…

第3章「植民地の民衆」扉の言葉より。

··········································· 「みんな、内地で哀れな生活をしとればしとるほど、朝鮮で飛び跳ねて、ぜいたくな暮らしをしたいわけな。逃げてきたばかりの貧乏生活を、あざ笑いたいわけな」被抑圧者から抑圧者への変貌は、瞬時に起きる。被…

第2章「植民地の化学工場」中の「統治と支配」より

················································································昭和十二年頃というのは、朝鮮窒素の転換期でした。日本窒素は朝鮮で巨大な電力を安く手に入れ、アジアにかけての市場が朝鮮から延びていたから、大量生産、大規模化でき…

 第2章 「植民地の化学工場」扉の言葉 より

今の日本の、 最悪かつ広がりつつある状況のすべては 既にここにあるように思える。···························································· (朝鮮窒素の)興南工場では、日本人Aと朝鮮人Bの個人関係は生じなかった。あるのは民族と民族の関係だけであ…