2018-12-26から1日間の記事一覧

『野の道』の最後はこう締めくくられる。

野にあるものは野でしかない。それで充分である。ここには太陽があり土がある。水があり森がある。風が流れている。大きそうな幸福と小さそうな幸福とを比較して、それが同じ幸福であるからには小さな幸福を肯しとする、慎ましい意識がここにはある。宮沢賢…

祀られざるも神には神の身土がある。

これは宮沢賢治『春と修羅 第2集』 「産業組合青年会」からの言葉だ。 同じ言葉が、「作品三一二番」にも現われる。 - 作品三一二番 正しく強く生きるといふことは みんなが銀河全体を めいめいとして感ずることだ ……蜜蜂のふるひのなかに 滝の青い霧を降ら…

山尾三省の言葉を読むうちに、わけもなくざわめく心がだんだんと鎮まってゆく。

ここに書かれているのは、自我の外部へと出てゆくということ。 【問い】 いかにして「野の道」をゆくのか?「野の道を歩くということは、野の道を歩くという憧れや幻想が消えてしまって、その後にくる淋しさや苦さをともになおも歩きつづけることなのだと思…