2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

『無謀なるものたちの共同体』(李珍景 インパクト出版会)

まずは序から。 野生会議99 立ち上げにあたって、肝に銘じる言葉。 脱近代的なコミューンであれ、前近代的な共同体であれ、 類を問わず、共同性は資本との対決なしには存続できない。そもそも資本主義は、共同体を解体し、ひとびとを寄る辺のない無力なひ…

宮沢賢治は、「耳の文芸」を「幻聴の文芸」へと置き直したところにみずからの文学を位置づけた。(西成彦『森のゲリラ 宮沢賢治』)

さらに、 「ほんとうのフィールドワーカーは、一伝承者個人の語りに耳を澄ますだけでは足りず、外部の「風」と内部の無意識の境界線上に生じる「幻聴」にも身をゆだねる大らかさを求められる。」と西さん。 幻聴。と近代の知の言葉では言うしかないものを、…

「平成とは「戦わない国家」の憲法的規定を「祀らない国家」の憲法的規定とともに空文化していった時代であるのだ」(子安宣邦の論考より)

戦う国家は、祀る国家であるということ。 戦うために、「祀ること」もまた中央集権化した国家であるということ。 近代に於て、日本人が忘れさせられた最たるものとしての無数の「小さき神々」(風土の神々)を想い起こすこと。 「国家神道の現在とは、歴史か…

語りの「場」に流れる時間について。

「語る歴史の中では、時間に沿って経験があるのではなく、経験の中で時間がつながりあっていた」(大門正克『語る歴史、聞く歴史――オーラル・ヒストリーの現場から』) これは、 これは、 「声」が形作る世界、語りの「場」を流れる複数の時間を考えるときに…