読書

石文化公園のことを考えていたら、宮沢賢治のことを思いが飛んだ。「宮沢賢治の鉱物幻想」を読む。石を思いながら再読する賢治の詩の言葉に無闇に掻き立てられる心。

鎌田東二によって、石に神を感じ取って山中を渉猟する山岳修行者、修験者と同じ感覚を持つ者として賢治は語られる。 その文脈のなかで引用される「石っこ賢さ」の言葉の数々。 わたくしたちは、氷砂糖を欲しいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風を…

近代社会において暴力の予感にさらされつづける者としての「異人」に出会うとき、そこに見いだすのは、「死体化」の時間を生きる説経の主人公たちの姿であったりもする。

●ある沖縄人の声「戦場化を押しつけた者がいなければ、わたしは沖縄戦にこだわらなかったはずだ。しかし、沖縄人を殺した日本人がいた。沖縄人を殺した沖縄人がいた。朝鮮人を殺した沖縄人がいた。そして、沖縄人はわたしだ。わたしが日本人に殺され、沖縄人…

訳者(廣瀬浩司)あとがきに、デリダの問いを噛み砕いてもらう。

★「歓待」を考えるための現代的な前提 「歓待」とは一般的に、国家、共同体、家庭などが、その戸口に到来した他者(外国人、異邦人、よそ者、客人など)を――無条件に、あるいは条件付きで――「迎え入れる」慣習や制度のことをいう。 国境や共同体のあいだをさ…

「歓待の行為は詩的なものでしかありえない」とデリダは言う。しかし、詩的なもののなかからこそ、不可能な歓待を可能ならしめる世界は到来するのではないだろうか。

まずニーチェの声。 「おお、人間よ、そなた、高等な人間よ、心せよ! 次の言葉はさとい耳に、そなたの耳に聞かせるためのものだ――深い真夜中は何を語るか?」 そして、ヤン・パトチカの声。 「人間は不安をかき立てるもの、和解不可能なもの、謎めいたもの…

「治水は造るものにあらず」と正造は言った。そこには渡良瀬川をはじめとする利根川水系全体を歩きたおして体得した「水と自然の思想」がある。日本の近代はこれを否定することからはじまったのだ。

正造の治水行脚。 齢70にして、1910年8月10日から1911年1月30日までに、少なくとも1800キロ以上歩いている。 それは本州縦断の距離に等しい。 これは、明治政府の治水政策の誤りを実証するための行脚だった。この情熱、執念。生きとし生ける命のための。 「…

震災から一年半後に、線量計を携えて、自転車で、奥の細道をたどった記録だ。忘却と記憶の分岐点で、金まみれ嘘まみれの忘却への標識を拒んで歩く記録だ。

たんたんと旅はつづく、たんたんと読んであとをついてゆく、 この道は忘却と記憶の分岐点ばかりで形作られている道なのだ、 人間の記憶なんてはかないもので、まだ終わっていない震災すら忘れてゆく、 分岐点にとってかえして、記憶の方へと歩き直すのは、か…

 八重洋一郎詩集 『日毒』 怒りの爆発!!

「日国 琉球侵入以来 各島々は如何になったか」 その知らせを中国の福州琉球館にもたらした八重山の役人がいる。 それをうけての中国側の記録はこう伝える、 「……光緒五年日人が琉球に侵入し国王とその世子を虜にして連れ去り国を廃して県となし……只いま島の…

いきなり第7章。「歴史の限界とその向こう側の歴史」  大事なところです。 ここでは、西洋出自の<普遍的>歴史学が直面する歴史の限界と、その向こう側に広がる普遍化を否定する歴史の数々、いわば「危険な歴史」の位相が語られます。

まずは、章扉に置かれたこの言葉。噛み締めるべし。 アボリジニのあらゆる情報システムにおいて、知識とは特定の場所と人々にかかわっています。別の言い方をすれば、アボリジニの知識体系で最も重要なのは、知識を普遍化しないという点です。知識が特定化さ…

第11章  「国家に抗する社会」   未開社会は国家なき社会である。 この一文ではじまる。

これを、未開から文明へという進化論的な発想でとらえれば、西欧近代の思考の枠のなかで、西欧近代の外の世界を説明することにしかならないだろう。 国家をもつ社会が文明の到達点か? まさか。 「未だに野蛮なままにある人々をそうした場に留めているものは…

いきなり 第七章 「言葉の義務」に飛んで読んでみる。「語ることはまずなによりも、語る権力を持つことだ」。これが冒頭の一文。

「「君主であれ専制王であれ国家元首であれ、権力者は常に語る者であるばかりでなく、正統なる言葉の唯一の源泉なのだ」 「それは命令(戒律)と呼ばれ、命令を実行する者の服従以外のなにも望まない」「あらゆる権力奪取はまた言葉の獲得でもある」 「国家…

第二章  いったん頭から西欧的な権力の思考を外したところから問いを立てる

「権力行使の手段をもたぬ権力とは一体何なのか?」 「首長に権威がないのなら、首長は何によって定義されるのか?」 1.首長は「平和をもたらす者」である。 (戦時にのみ強制力をもつ権力が出現する。戦時首長)2.首長は自分の財物において物惜しみをし…

権力について、真剣に問うことなどできるのだろうか。 という問いから第一章「コペルニクスと野蛮人」ははじまる。

この章にかかれていることは、冒頭に置かれたエピグラムの言葉に尽きるのだな。「旅に出て、少しも心を改めることのない人があった」という話にソクラテスはこう答えた。「ありそうなことだ。その人は、自分を携えたまま旅をしたのだ」(モンテーニュ) 権力…

 川田順造『聲』(ちくま学芸文庫)より

P238黒人アフリカ社会では一般に、人間は決して集合的に認知されてはいない。人間を、課税の対象、投票の員数、労働力、軍事力として、脱個性的に、互換性をもった等質の単位によって数量化し、集合的に扱うのは、むしろ近代西洋に発達した思考だ。アフリカ…

 天草四郎と切支丹の若き武士蜷川右近の会話

四郎「この世は今もって、大いなる混沌でござります」右近「さっき虚空と言われたが」四郎「はい。底なしの空ろというべきか」右近「して、そこから世界は生まれ直すと思わるるや」四郎「万物を生み、滅ぼす仕かけが、そこにあるやもしれませぬ」右近「なら…

第3章「植民地の民衆」扉の言葉より。

··········································· 「みんな、内地で哀れな生活をしとればしとるほど、朝鮮で飛び跳ねて、ぜいたくな暮らしをしたいわけな。逃げてきたばかりの貧乏生活を、あざ笑いたいわけな」被抑圧者から抑圧者への変貌は、瞬時に起きる。被…

第2章「植民地の化学工場」中の「統治と支配」より

················································································昭和十二年頃というのは、朝鮮窒素の転換期でした。日本窒素は朝鮮で巨大な電力を安く手に入れ、アジアにかけての市場が朝鮮から延びていたから、大量生産、大規模化でき…

 第2章 「植民地の化学工場」扉の言葉 より

今の日本の、 最悪かつ広がりつつある状況のすべては 既にここにあるように思える。···························································· (朝鮮窒素の)興南工場では、日本人Aと朝鮮人Bの個人関係は生じなかった。あるのは民族と民族の関係だけであ…

自然保護の争点が、実は日米安保に絡んでいるということ

1988年の宇井純の言葉「現在全国的によく知られている四つの自然保護争点、知床、逗子、三宅島、石垣島白保のうち三つまでが、日米安保体制の強化による軍事基地にからんだ問題であることは公害防止、自然保護という一見やわらかい問題が、日本の政治経済状…

公害原論「開講のことば」より

「個々の公害において、大学および大学卒業生はほとんど常に公害の激化を助ける側にまわった。その典型が東京大学である。かつて公害の原因と責任の究明に東京大学が何等かの寄与をなした例といえば足尾鉱毒事件をのぞいて皆無であった」「立身出世のために…

「歌祭文」⇒「でろれん祭文」⇒「浪花節」

「でろれん祭文」は明治中期まで続いて「浪花節」(浪曲)の源流となった。 「ちょんがれ」「しょぼくれ」「うかれ節」も、みな歌祭文を源流とした同じ系統である。 明治期に流行した「阿呆陀羅経」は、小さな木魚を叩いてテンポを速めた「ちょぼくれ」の一…

「祭文」から「歌祭文」、「歌祭文」から「でろれん祭文」

近世中期に入って浄瑠璃や歌舞伎が大人気になると、「お染久松」「八百屋お七」「お俊伝兵衛」「お夏清十郎」など、巷間に流布した悲恋哀話を平易な祭文調で語る「歌祭文」が現われた。 三味線を用いた弾き語りが流行したが、冒頭の一句だけは、やはり祭文の…

近世の「説経語り」の風景 (俗山伏)

和歌森太郎『山伏』より 山伏がいちだんと落ちぶれて、その信仰を押売りに門付けを行なうなどのことがあった。説経を門付遊芸としておこない、お布施をもらうために山伏祭文を語って歩く、まったくの俗山伏がいたのである。 浪花節が山伏祭文から起っている…

 山から里に下りてきた山伏たちのゆくえ 

もともと「祭文」は、神や仏に祈るときに唱せられる祝詞・願文であった。 中世に入ると、修験者や巫女が、仏教の声明の曲節で、願い事を唱えたり、自分たちに縁のある寺社の縁起を語るようになり、それも祭文と呼ばれるようになった。 山から里に下りてきた…

江戸時代の山伏

「要するに、江戸時代の山伏にもピンからキリまであったのであって、なお中世的な果敢な山岳修行にいそしもうとする、修行本位に生きる山伏もいたとともに、祭文語りからごろつきに転化したようなものまで、種々のタイプがあったのである。全体的にいえば、…

  そもそも山伏とは……

神霊や死霊の籠もる山を背景にしたシャーマン。それがはじまりの姿だろうと。(古代よりの山岳信仰のもとに)後世、山伏の始祖と伝えられる役行者について。 「『続日本紀』に語られている限りの役小角の性格は、まず山を背景にして、山の神を操ることができ…

全的に受け入れるね、笙野が荒神をめぐって語っていること、荒神たちが言っていること。猫に自分をすべて明け渡した笙野頼子を私は信じるね。

少しだけ、笙野頼子と荒神が語り合うあとがき小説「言語にとって核とは何か」から抜き書き。「文学に何が出来るか?」だって別に出来ることをするだけだろう? だって出来ない事は出来ないから。ただ、もし出来なかったら、「みんな自分」も万が一悪くなくて…

金属民俗学、という視点がある。 それは、戦慄せよ! と、平地人たるすべての近代人に語りかける。

金属民俗学から読み解く『遠野物語』とは、遠野の「物語」ではなく、遠野という地に物語を呼び込んだ「金山」と、「金山」に向かって物語をたずさえつつ旅をした者たち/山師/山伏/聖/遊行の徒たちによって種をまかれ、風土によって育まれてきた「物語」…

遠野に伝わる「阿字十万……」の偈文から、旅する物語における、真言修験、念仏聖の存在の大きさを知る。

遠野の小友町の座敷念仏の中に、「阿字十万三世仏 微塵(彌字) 一切諸菩薩 乃至(陀字)八万諸聖教 皆量(之)阿無(弥)陀仏」という偈文がある。これと「神呪経」との深い関わり。「神呪経」は、高野聖の念仏に理論づけをしたという興教大師・覚鎫の思想…

文字を持たぬ世界

「文字をもたない世界にあっては言葉は神聖なものであり、威力あるおのと考えられた。呪言が相手の人間に不幸を与えると考えたのもそのためである。また、人々が不幸について語るとき「これは自分のことではないが……」と前置きして話しだすのも、その不幸が…

文字をめぐって

明治39年(1906)に児童就学率は96.4パーセント。 文字の浸透。 「学校教育は国家の要望する教養を国民にうえつけることであったが、それは庶民自身がその子に要求する教育とはちがっていたということに大きなくいちがいがあり、しかも両者の意図…