惚れて通う(三下がり)

月三回の小唄のお稽古。流派は堀派。熊本じゃあ、3名しか師範の先生はいません。
お弟子さんたちも高齢化社会を先取りしていて、四十代の私がほとんど最年少。
(このままずっと続けていけば、熊本の堀派をもしかして担っている?
 こんな恐ろしい想像は、私のためにも熊本の堀派のためにも、地の底深く埋めておきましょう)


お稽古に行けば、2時間みっちり唄と三味線を鍛えられます。
始めたのは2005年10月で、1年も経てば、ちっとはまともに唄って弾けるんじゃないかと、ひそかに期待していたものの、未だド素人。
三味線はポンポコ、歌はヨレヨレ。まったくサマになりません。
道は厳しい、険しい、果てしない。


お師匠さんは3年後には名取になんて、これは2005年10月の言葉だから、来年10月には名取???? 
ありえん、たぶん。


この1年5ヶ月の間に目に見えて上達したのは、とっさの作詞作曲能力でしょうか。
初弾きとかゆかた会とか、人前で歌う機会があるわけですが、これが実に恐ろしくて、見事にフリーズしちゃって、頭んなかにたたっこんだ
はずの旋律がきれいさっぱり消えている。
となると、作曲するしかない。カラオケでも実に見事な作曲能力を発揮する私でありますから、これは惚れ惚れするほど見事。


家でひとり殊勝にも唄のお稽古をしてみれば、アレアレ、新しい歌詞が湧いて出る。


梅は咲いたか 桜はまだかいな
(そんなこと 聞くやつぁ 失せちまえ)


()内は本来三味線の調べしかないところ。なぜかラップ調の唄が無意識に入っている。これ、歌うたびに気分で変わる。
でも、お師匠さんの前では絶対にしません。だって、お稽古中のお師匠さんはホントに怖い。


まあ、それでも1年5か月もやってれば、好きな唄の一つや二つもあるわけで、「惚れて通う」とか「水の出花」とか「茶のとが」とか、粋で艶があるのが
よろしいですなぁ。


小唄にスッと入っていくには、その唄が生まれた背景(歌舞伎、浄瑠璃等々、江戸や明治の大衆芝居とかイロイロ)を体得していれば、そりゃベストです。
とはいえ、今の時代に現役で生きていて、小唄の母胎を知らぬ身には、それはかなり難しい。心情を重ね合わせられること、まずはそれが入口かなぁ。
たとえば、いつの世に生まれても、恋はするもの、情は湧くもの、愛はつかみがたいもの、義理は破るもの、意地は通すもの。(ホントかな)。
そんな普遍の思いから生まれた唄は感情移入もしやすい、唄いやすい。



惚れて通うに なに怖かろう
今宵も会おうと 闇の夜道を ただひとり
さきゃ さほどにも思やせぬのに
こちゃ のぼりづめ
エ〜 エ〜 エ〜 エ〜
山を越えて会いにゆく
どうした縁でかの人に毎晩会うたら嬉かろ
実 どうすりゃ添われる縁じゃやら
じれったいね


実、どうすりゃ、さまになる唄じゃやら。まこと、唄えぬ唄がじれったうございます。