夏の雨 凌ぎし軒の白壁に
憎や噂をまざまざと
相合傘に書いた文字
見てはほころぶ
片えくぼ
本日のお稽古でお師匠さんが、6月に催される熊本の小唄各派大集合の
「仲良し会」で私が唄う二曲を「惚れて通う」と「夏の雨」にしましたと
おっしゃいました。
「夏の雨」は去年の夏にお稽古したきりで、すっかり忘れている。
なのに、今日、いきなり唄ってみなさいと言われて、ボーゼン。
木村菊太郎先生によれば、この唄は大正11年頃に初代永井ひろによって
作られたもの。もとは「新橋おひろ」という名乗っていた芸妓で、昭和
9年に永井ひろとして永井派を立てた非凡な才能の持ち主だったそうな。
「夏の雨」は、新橋おひろが柳橋の深川亭に呼ばれたときの出来事から
生まれた唄で、夕立に追われて走りこんだ料亭の白壁に相合傘の落書きを
発見。それが、さる劇団の二人の御曹司のうちのひとりと、
売り出し中の若い芸妓の名前であったものだから、ひろ姐さん、ハハ〜ンと
なった。
どうやら、御曹司オー様、キー様の二人と若い芸妓の三角関係、
オー様の勝ちらしい。だって相合傘にオー様の名前が書かれているんだもん。
そう言われてみれば思い当たる節があるあるあるあるあるある大事典てな
もんで、まあ、当てにならない噂の落とし子の相合傘だといえ、ひろ姐さん
ったら、ひとりでニヤ二ニヤニタリとしたという。
ま、ちょっと聴いてちょうだいよ、どうやらこんなことになってるらしいわ、
ピーチクパーチク、ウィークエンダー、噂の真相てなもんでしょうか。
古いね、私も。こんなたとえしか出てきやしない。ま、唄うカラオケの
レパートリーに、あんたは戦前の生まれかと真顔で聞かれる私ですから、
こんなもんでしょ。
本当は戦後の高度経済成長のしょっぱなの頃に生まれて、長じて新人類と
揶揄されて、バブルのさなかに就職して、おいしい目に合わないうちに
バブルと一緒にはじけちゃったくちなんですけどね。
相合傘のいたずら書きなんて、小学生の頃に初めて書いて、
最後は、大学の寮の据付の棚の下にもぐりこんで、こっそり
N君の名前と私の名前を、願いを込めて書いた時だったかしらねぇ。
大学生のくせして、まったくやるこたあ小学生なみ、いやいや色町の姐さんたち
だってやるこた同じ。思いは字にする、口にする。
秘めた思いがこぼれて落ちそうになる前に、こっそり文字なり言葉なりにして
適当なところで収めようとしては、やっぱり世間にちょろりと漏れでて、
あたふたしたり、やきもきしたり、恋を失くしたり、つかみとったり。
思い出せば、あの頃は、はー、楽しかった(ということにしておきたい)
本音を言えば、秘密ぶって、なのに、これ見よがしに壁に書いた相合傘なんか
じゃなくてさ、大きくて深い傘の下にふたりひっそり隠れて寄り添って、
肌の温もりがじんわり伝わってくるような、正真正銘の相合傘をしてみたい
もんでござんす。
女は死ぬまで女と叫んでいたのは、沖縄最後のお座敷芸者ナミイおばあだけど、
(叫んだときは83歳)、きっと殿方もそうなんでしょう。
ということは、人間ってのは生きてる限りは、嬉し楽し哀しの切ない思いを
抱き続けていくんでしょうね。