夜桜(三下がり)



夜桜や 浮かれ烏がまいまいと
花の木陰に誰やらがいるわいな
とぼけしゃんすな
芽吹き柳が風にもまれて
ふうわりふわりと
おおさ そうじゃいな そうじゃないわな


調子よく弾む唄なんです。こういうのが好きなのだけれども、哀しいかな、
三味線の手がついていかない。音を追うのがやっとこさで、お師匠さんの
言うところの、見事なポンポコ三味線。


ま、なんとか音を出しているだけでもエライもんよと、お師匠さんは気長に
励ましてくれます。というか、そう言うしかないですものねぇ。


音を追うのに必死で歌詞なんぞ二の次。お稽古が済んで、ようやく歌詞を
しみじみ見て、へへぇと思うわけでございます。


この「夜桜」という小唄は、文化年間の吉原の夜桜を歌った上方小唄なんだそうな。
勿論、木村菊太郎先生の教えです。


吉原の「張見世」を毎夜毎夜ぞめいて歩く御定連の群れが「浮かれ烏」で、
「あら、あの木陰にあの人がいるみたい」
なんて遊女のひとりが言うもんだから、
「違うわよ、あれは柳が風に揺れてるだけよ、おばかさんねぇ」
とかなんとか別の遊女が言っては笑いあっている様子らしいんですね。


「夜桜」というのは、のちに吉原の遊女そのものを指すようにもなったとのこと。
この唄、弾むから、お座敷で幇間がおどけて踊ったりもしたんだそうな。


でもね、小唄として歌う時はちょいとばかり硬派にというか、小粋にというか、
ま、小唄らしく(とかなんとか言っても、私にはそれがまだよくわからない)、
踊りつきの時はおどけて軟派に唄うのがよろしいそうな。
(おどけたリズムは楽しいから、ポンポコ三味線のリズムもついおどけます)


でも、歌詞を見れば、おどけたようで、確かにそうだと腑に落ちる、
痛いところを突いてくるなぁと思います。


別に遊女じゃなくとも、男女かかわらず、思い人は待ち遠しいもの。
夢にまで見るもの、しまいにゃ想像を通り越して妄想するもの。


いつまでもやっては来ない「ゴドー」を待つ、その行間から無数の物語が
立ち上がってくるように、
たとえそれが、いつまでも現れぬ待ち人、はるかな夢、かすかな希望であっても、
諦めることなく待つ心の中から、われらの明日の物語は生まれて来るんでしょう。
な〜んて、もっともらしいことを口にすることほど、間抜けで恥ずかしいという
ことくらいは承知してはいるんですが、なかなか修行が足りなくてね。