慌しい 落ち着かない

16日(月)午後、tsutayaに返さねばならぬ溝口の「近松物語」を大慌てで観て、夜にはチェチェンの青年ティムール君の帰国歓送会に顔を出した。

近松物語』。不義密通の誤解が、そのまま本当の不義密通へと一気に一途に進んでいく、その理不尽極まりない話が、人間男女かくあらんと、嘘も無理も感じさせずに、観る者をぐいぐいと引っ張っていく、その構成と映像の力にため息。長谷川一夫香川京子、入水を決意して琵琶湖に舟で乗り出して、いざ死なんという時に、奇跡のように起きる「再生劇」、ここで二人は不義密通を演じさせられている操り人形としては一度死に、そして、ここからこそが、生きている生身の人間の男女としての真の道行きの始まりとなる。

雨月物語』でもそうだったが、水、舟のある風景は、人間を異界(今まではと違う世界)に連れ出していく。向こう岸に渡っても、こちらの岸に戻っても、もうそれまでの世界とは別のところに連れて行かれている。

溝口をひきつづき観ることにする。


ティムール君は、チェチェン人ジャーナリストであるわが友ザーラの息子。
ザーラとは数年前にカザフスタンチェチェン人を訪ねて旅をした。
同い年だが、戦火を生き抜いてきたたくましい母のような人で、
童顔の私をロシア語で「ドーチャ(娘)」と呼ぶ。
ティムールは、留学生という資格で(実情としては戦争難民というほうが近い)、新潟のアムネスティの方々の力添えで5年間日本で日本語と映像製作の勉強をした。総合格闘技もやっていたらしい。
彼が日本に来るきっかけを作った映像作品「春になったら」を歓送会で久しぶりに観た。
「春になったら」については、詳しくは↓。

http://groups.msn.com/chechenwatch/page71.msnw

17日、午後は夏に岩波書店より刊行予定の本の打ち合わせ→小唄のお稽古→夜、池袋で旧知の集まり。
小栗康平監督に数年ぶりにお目にかかった。
他者を介在させないと心理を表現できない映像、しかし、他者に寄りかかってはならないのも映像、と小栗さんが語った言葉を、文字表現にも置き換えて考える。

不意にアメリカに行きたくなって、有効期限切れ間近のパスポートの更新に行くことにする。