チェチェン民族学序説

やってくれたね!
と、この本を企画・編集・出版した方々に思い切りスタンディングオベーションしたくなる痛快な本。今まで書かれることのなかったチェチェンの民族文化・伝統が実に平易に親しみやすい語り口で書かれているのだが、それをチェチェン人ジャーナリストにお願いして書いてもらったのは、日本のチェチェン支援者たちであり、彼らが世界に先駆けて日本でその本を翻訳・出版した。クリスマスカラーの装丁のこの本を我が家の座卓の上に置き、私はしばし、ひとりスタンディングオベーション

想い起こせば、大学でチェチェン戦争の話をし、私が出会ったチェチェン難民の話をすると、賢い学生たちはたいてい、「そのようなことが日本から遥か彼方の地で起こっているとは知りませんでした。今日ははじめてチェチェンの紛争のことを知り、チェチェン側の言い分も聞きましたので、バランスを取るために、もっといろいろな情報を収集してロシア側の言い分にも耳を傾けたいと思います」と言ったものである。

あのね、チェチェン戦争のような、世界に影響力を及ぼす大国(ロシア)が関わっている戦争にまつわる情報は、いったい誰が取捨選択して世界に送り出していると思う? 情報を流すも握りつぶすも利用するも(触れられたくない情報に触れるジャーナリストを消すのも)、その大国次第というシビアな状況があるという前提を持たずに、バランスよく、きちんと、なんら検閲、自粛、統制、管理、歪み、偏向もなく、水の流れのようにスムーズにあるがまま情報がこの世に流れ出していると信じて、ロシアからも言い分を聴かなくちゃバランスを欠くと言う大学生、あなたは、いつか、はなからバランスを欠いて流通している情報で、さらにバランスを失していっているこの世界で、知らぬ間に躓いたり転んだり弾き飛ばされたりするからね。要注意。

アメリカがイスラエルの背後にあるから、そのイスラエルと戦っているから、パレスチナは反射効果で世の中の耳目を集めるだけ、イスラエルパレスチナは一対の対等に向かい合っている対称関係として存在しているのではなく、そもそも非対称な関係なのだと話したのはパレスチナのある作家だった。

そう、世界は非対称。(と今さら言うことでもない、数年前にさんざん世の中で言われていた)。

チェチェンの民族文化や伝統なんて、いったい誰が関心を持つ? 
そう、おそらくは、たまさかチェチェン戦争に関心を持ってしまった人々がほとんどであることでしょう。ロシアの非道に怒っている人々でもありましょう。私はこういう本を、「ロシアの言い分も聞かなくちゃ」という、ある意味、良識はもっているのだけれど、遠い場所の出来事と今ここの出来事を結ぶ想像力を失っている(失うようにされている)人々に読んでもらえるならと思う。

解説の林克明さんが書いているように、これは人生論、あるいは倫理の書として、「葉隠」や「武士道」(新渡戸稲造)にも通ずるような、普遍的な内容を持った書である。

チェチェン民族学序説」というような真っ向からの真剣勝負の書名ではなく、「コーカサスのおじいさんの智慧〜グレートチェチェン〜」みたいな書名(今頭をよぎったばかりの、ほんの思いつきの書名)ならば、間違って手に取る人は倍増するのではとふと思ったりもしたが……、それは邪道……? だって、非対称の外に出て、読んで欲しいし、知って欲しいじゃない……。 


今日から一か月、ふたたび単行本原稿のためのカンヅメ生活に突入。