忘れる

明日は妹の命日。
今日は、一日前倒しで、母と姉と三人で、三浦にある海のそばの霊園にお墓参りに行って来た。
亡くなって9年も経てば、いろいろなことを忘れる。
気がつけば、いろいろなことを忘れていたということを、今日思い出した。
たとえば、携帯電話。
墓参後、母の携帯の機種を変えるためにショップに行って諸手続きをしているときに、不意に記憶がよみがえる。
私がはじめて携帯を持ったのは、9年前に妹の突然の訃報を聞いた翌日のことで、旅先で亡くなった妹を引き取りに行く者たち、横浜で待機する者たち、熊本から上京してくる者たち等々、家族間で連絡を取り合うために、シルバーの、今からすればかなり大きめな携帯を購入して、そのときに既に設定されていた着メロが坂本龍一の「ウラBTTB」の一曲で、あまりに慌しく気が動転する中で携帯を購入した私はその着メロのことを知らず、ウラBTTBのメロディが自分の携帯から流れ出ているということに気づくまで、ずっと携帯に出ることがなかった。肝心の時に役立たず。
たとえば、不眠。
今日も私は眠い。日々眠い。最近はすっかり慣れてしまった浅い眠りのはじまりは、やはり9年前から。
姿はないのに気配がある。部屋の中がざわざわしていて眠れないという経験は妹の通夜の晩からだった。2時、3時、4時、5時と1時間ごとに、キリのいい時間にぴったり目が覚める。そのうち、疲れで肩が凝って両手を頭の上にあげて目覚めたままバンザイの恰好で横たわっている、その状態のまま金縛りになり、あっヤバイと思った瞬間に、無防備な脇の下をくすぐるヤツがいる。部屋には私以外誰もいないというのに。昔から姉をからかって遊ぶ妹だったが、そこまでやるかと怒ると同時に、あの世もこの世も陸続きだということを肌で知った。人は死ねば「無」になる、今も昔もそう思っているけれど、そう思っていながら「陸続き」であるとを疑いもなく感じている。矛盾しているようだけど、自分のなかでは折り合っている。説明はできない。あの晩から眠れぬ夜はずっと続いているけれど、9年も経つと不眠にも慣れて、自分がなぜ眠れないのかが気にならなくなってくる。そして油断していると、また、からかわれる……。情けない。

大事なことをどんどん忘れる。思い出すのは、大事なことの周辺のことばかり。眠れぬ夜に、自分がいったい何を忘れているのかを、じたばたしながら考える。