入ってゆく

タハール・ベン・ジェルーンの最新刊『出てゆく』の帯には、こんな文章。
居場所はきっとどこかにある。
祖国を捨てて新天地へと人生をかけた男の、喜びと苦悩と絶望が、時にリアリスティックに時に幻惑的に描かれる。捨てることで得るものと、得ることで失うものの意味を問いかける、現代人に捧げる哀しみの物語。

確かに、哀しい。
対岸のスペインを見つめてモロッコを出てゆくことを夢見る者たち、モロッコを出ていった者たちの物語であるこの小説は、同時に、いまだ自分が生きるべき物語を持たない者たち、名もなき者たちの、物語への彷徨いの旅を描くものでもある。
気がついたらその中に生まれおちていた、としか言いようのない「与えられた物語」があって、そこから出てゆくことを夢見る者たちがいる。しかし、うっかりそこから出てしまったら、彼らは宙に浮いてしまう。なぜなら、彼らは自分が物語から脱出してきたことも、新しい物語へとみずから入っていってこその脱出だということも気づかずに彷徨い続けているから。

だから、タハール・ベン・ジェルーンは、この小説に、フローベールを呼び出し、ドン・キホーテを呼び出し、物語の語り部である気狂いモハを呼び出し、彼らとともに「物語なき彷徨いの人々」を、来たるべき物語(=未知の物語)へと出航させるのだろう。

『出てゆく』は、物語へと『入ってゆく』ことを目指す物語。入ってゆくことの困難を示す物語。物語は繰り返し語られるのだという絶望と希望の物語。だから、哀しい。この哀しみを照らす光を、語り部は静かに放つ。語り部語り部として語り続けるかぎり。