歌う珍味

昨夜は、<私>と<女王>と<赤パン>、女子三名で中華を食べ、そのあと二時間ほど軽く歌う。この三名は、珍味(食味ではなく、人間の持ち味という意味の珍味)として世(=狭い世間)に知られる。
歌の皮切りは<赤パン>。斉藤由貴の「情熱」から始まり、<赤パン>はこのあとひたすら斉藤由貴、ときどき松田聖子、とはいってもそれが「sleeping beauty」だったりするわけで微妙なところを突いてくる。で、締めは松山千春「恋」。超高音シャウト!(するような曲ではないはず……)。
<女王>は今までの持ち歌をお蔵入りさせたばかりで(=今の気分に合う歌を摑みかねている)、と言いつつ、一世風靡セピアの曲をいきなり入れて「素意や、素意や」とガツンと気合。そのあとはユーミン尾崎亜美松田聖子、ドリカム、エレファントカシマシと、この並びだけ見ると結構王道(=女王道)であるが、どこか落ち着かぬ空気である。
<私>はまったく空気を読む気がない状態で、椎名りんご「丸の内サディスティック」から始まって、perfumecharafishmans斉藤和義とかなんとか、最後はガガガDXで、やはり叫んで、締め。
「乙女」な歌を「おやじ心」で歌う。というようなことを珍味三名は試みたりもしていた。

なんだかひっそりと染みるような楽しさの珍味の夜だったのだが、昨夜一番の収穫は、閉店間際の八百屋さんで<赤パン>が、定価350円のイチゴを200円で買ったことだったような気がする。店先にあった最後の一個、八百屋のおばちゃん強力オススメのイチゴ。ささやかなヨロコビ。


『すばる』5月号。奥泉光いとうせいこうの「文芸漫談」が面白い。取り上げられていた本は後藤明生「挟み撃ち」。キイワードは「無調」。物語(=調性)の世界、もしくは構造からの逸脱。


いとう: 無調って……。
奥泉 : いわば『夢十夜』(※漱石)のようなものです。十二個の音をどう組み合わせてもいい。そのときシェーンベルクは、構造のあまりのなさに苦悩する。センスだけで曲を作らなきゃならないし……。
いとう: 曲と曲の違いが言えないだろうし。
奥泉 : 曲が終わらないし。
いとう: あ、終わりは構造が要求するものなんですね。