久留里線

久留里線盲腸線。木更津から房総半島の内側に分け入って、上総亀山が終点。本当は木更津(内房)から大原(外房)までをつなぐ鉄道になる予定だったはずが、先に内房⇔外房間を小湊鉄道いすみ鉄道が結んでしまったので、盲腸線になってしまったとのこと。と、これは関川夏央さんの『汽車旅放浪記』で仕入れた豆知識。
汽車旅が好き。寝台車が好き。寝返りも打てない寝台で死んだように眠るのが好き。旧満州鉄道の路線を寝台車で旅した時は、ホントに蚕棚みたいな寝台で、今にも転げ落ちそうで、ひどく楽しかった。長春から満州里へと向かう途中、山を越えてゆく汽車の窓の外を雲が流れていった。雲の中を走る汽車。
連休あたりに近場のローカル線の旅に出よう。どこのどの鉄道にするのかは、出かけようと思いたったその日に決めよう。

関川さんの本には、上越線の話も書かれていて、上越線とくれば、川端康成「雪国」で、国境の長いトンネルを抜けると雪国であった、ということになる。雪国とは「死者たちの国」の物語なのだと、関川さん。

冒頭の一行しか知らなかった(それだけで読んだつもりになってしまっていた)「雪国」を初めてきちんと読んだ。物語の中で繰り返される「徒労」、「虚しさ」という言葉とは裏腹な、緊張感。死の影がべったりはりついている「生」。死を意識することで、ようやく持ちこたえている「生」。
肝心なことは語られずにそこにある。肝心なことを語り手は語らない。
「死者たちの国」は、哀しく、艶かしく、さびしい。
川端康成の世界では、人間はきっと生まれながらにして死んでいるのだな。最期の瞬間まで死をなんとか生き抜くことが、生きるということなんだろうな。

連休は『死者たちの国』に汽車に乗って行ってみようか…。



きのう、今日と、短い原稿を一本ずつ。