昨夜は、下北沢にて、恵泉女学園大学2008年度春学期日本語表現(文芸創作)の作品集完成の打ち上げ。
作品を書きあげるという過程で、どれだけ自分を無意識のうちに縛っていたものから抜け出すことができたか、自分を囲っていた枠を壊すことができたか、それをしみじみ学生たちと振り返る。わが文芸創作講義の用語では、「どれだけ変態になれたか」「どれだけ気狂いになったか」というふうに、それを表現する。
つまり、文芸創作講義とは、一度実際に作品を書いてみるという経験をとおして、その過程で、今まで無意識のうちに自分のなかに刷り込まれ、自分を縛ってきた「書くということ」への固定観念に気づくこと、それを意識できちんと捕らえ返すこと、(そうしてあらためて固定観念をわがものにするのか、乗り越えるのか、破壊するのか、それは人それぞれであるけれど)、とにかく、「自分の声」をあげる最初の場所にたどりつくこと、書くということの出発点に自分を立たせることをめざす。
出発点に立ったなら、あとは背中を押すだけで、書くという具体的なアレコレについては、教えることなど実はない。
講義の現場では、いわゆる「小説」を書こうとするな、「詩」を書こうとするな、「エッセイ」を書こうとするな、形から入るな、形に自分をきれいに収めるな、中途半端な小説コスプレをするな、表現コスプレをするな、嘘もホントも中途半端なコスプレをするくらいなら、さっさとその衣装を脱いじまえ、ということになる。
と、これを書いているうちに頭の中に鳴り出したBGMはビートルズのfool on the hill。世界らしきものを見渡す丘の上にひとりの愚か者がいる。どんな愚か者にも、自分の丘がある。
講義にゲストでやってきて学生たちを大いに惑わせてくれた版画魔女・山福朱実さんも打ち上げ参加。二次会カラオケで山福さんが歌ってくれた『アカシアの雨がやむとき』はかなりの迫力魔力。
小島信夫「小説の楽しみ」を読み始める。
話の行方など分からぬままに書き始める「反段取り」を小島信夫が語る。
「じゃあ、短編小説なんかを反段取り的方法で書くときはどうかといえば、これもまた、(締切の)三日前から書くわけです。だから、全然読み直さない。短編でも長編でも、一度も読み直したことはありませんね。原稿は編集部に渡したっきりなのです。小説の場合は、編集部のほうで筋が通るようにするものだから、誤植がない。そりゃあ、向こうで手を加えたものと、ぼくの元原稿とは違っているかもしれませんよ。しかし、それも反段取り的方法のひとつです。自分以外の人も参加する、そういう方法でいいんです」