おひまな読者よ!

言うに言えないこと、言葉にならない何かを、別の言葉で表現する。(別の言葉は、じつは、「こういうことについて話しているのではない」ということを暗示する)。そして、その言葉を読む者は、ここに言うに言えないことがあるのだと感受する。そのやりとりのなかに文学は息づくのだろう。

「四百年前とか、百年、百何十年前に書かれたものでも、ほんとうに普遍化されているのは、こうした言語化されない意識や意味、身振りなどをどう表現するか、ということじゃないか」(「小説の楽しみ」小島信夫

言葉にならない何かを表現するために、カフカカフカなりの、チェホフはチェホフなりの、ウルフはウルフなりの方法を発明していった。

小島信夫の小説「別れる理由」。語り手は物語の中にいたり、物語の外に出ていたり、消えてしまって何処にもいなかったり、知らない間に語り手が変わっていたり。その変幻自在、融通無碍(=とんでもないいい加減さ)は、やはり、他の書き手には真似できない小島信夫の発明のひとつのように思う。


セルバンテスは、『ドン・キホーテ』の序文の第一声を、こう記す。
「おひまな読者よ!」

言えないことを語ろうとして何百年、ある言葉から別の何かを読み取ろうとして何百年、おひまな書き手とおひまな読者の、それぞれの孤独で寡黙な時間。かけがえのない時間。
この世界に、人間の存在自体に、言葉にならない何かがあることを忘れぬかぎり、言葉にならぬ大切な何かを想い続けるかぎり、人間たちが繰り返し生まれて生きて死んでいく無為も、無為ではないように私には思われる。繰り返し自体が大きな意味をはらむようにも感じられる。それを語る言葉を未だもてないことも、それを歯がゆく思うことも、むしろ希望のように感じられる。


「封印の島」(ヴィクトリア・ヒスロップ みすず書房)を読み始める。舞台はギリシャハンセン病の島を背景に置いて紡ぎ出される物語。