時には、

言葉をなくす日もある。言葉をなくした日の自分には足もない。足はなくても靴をはいて出かける。歩く歩く、なくした言葉を探して歩く。そのうち、言葉をなくしたことも探していることも忘れて、なんとなく家に帰る。足がないことを忘れている間は、足はきちんと生えている。

時には歌う。(今日も歌った)。人間というのは傾向として、耳で聴いて覚えた調べを歌おうとすると、高い音ほど実際の音より少しばかり低めに歌いがちで、低めに歌えば、本来の調べより淋しげな響きになる。音が低めに入るから「めいる」で、それゆえに「めいる」とは暗めの心持をさすのだと、これは小唄を歌う際にいつも高音を低めに出す私へのお師匠さんからの注意。

時には小学生と話す。あんまり可愛い小学生五年坊主だったので、思わず私が「太郎君」(仮名)と名前で呼ぶ、すると太郎君が神妙に言う。「あのー、僕のわがままかもしれないんですけど、名前ではなくて苗字で読んでもらえないでしょうか」。はいっ。思わず、なぜか、襟を正して「早川君!」(仮名)。

「果して、滑稽でない誰かが存在するだろうか?」。これは後藤明生の言葉。それの応用形、「果して、滑稽でない文学が存在するだろうか?」。その問いを小説という形で表現しようとしたとき、「『吉野大夫』という題で小説を書いてみようと思う」という書き出しではじまる、なのに、いつまで経っても『吉野大夫』らしき小説は書かれない、その書かれないさまが『吉野大夫』と題された小説になっているという、かなり倒錯した、クソ真面目で滑稽そのものの小説が生まれた。(後藤明生「吉野大夫」のこと)。

時折、それも十年に一度くらい、思い出したように連絡を取り合っていた中学校の同級生とここ数日激しくやり取りをしている。6月半ばに刊行予定の単行本の表紙の絵を描いてもらっている。彼女と初めて会ったのは中学の入学式の日で、教室で出席番号順に座った座席で私の真後ろが彼女。今と変わらず昔も多動児だった私は、みなが静かに座っている教室で、その緊張感に耐えられず、ひとりクルリと後ろを振り向いて、「遊ぼう!」。声をかけた。彼女も「何して遊ぶ?」、間髪をいれず応じた。マルバツゲームをした。その時のことをよく覚えている。その時のことくらいしか覚えていない。そういう縁。十年に一度、彼女のことを思い出すたびに、くるりと振り向くようにして連絡をとる。「遊ぼう!」、「何して遊ぶ?」。今回はお絵かき遊び。