横浜に行ってきた。みなとみらいは凄まじい人出。潮の香りに人の匂いが入り混じる。なまぐさいな、人間は。
ゲド戦記2「こわれた腕環」(アーシュラ・K.ル=グウィン)P182 ゲドの言葉
「名まえを知るのがわたしの仕事、わたしの術だからさ。何かに魔法をかけようと思ったら、人はまず、その真の名を知らなくてはいけない。私の故郷(くに)では、誰も、絶対に信用できる人以外には、生涯、本名をあかさずにおく。なぜって、名まえは大きな力と同時に、たいへんな危険をもはらんでいるからね。かつて、セゴイが深い海の底からアースシーの島々を持ち上げてこの世界が誕生した時、ものには、すべて、それぞれに真の名が与えられた。そのひとつひとつを知ること、天地創造の際の、古い、真実のことばを知り、それをしかと身につけること。今もなおいっさいの魔法は、それができるかどうかにかかっているんだ。もちろん呪文も習わなければならないし、ことばの使い方もいろいろある。その上に、さらに、人は、魔法を使った場合の結果についても知らないではすまされない。だが、魔法使いの生涯の大半は、ものの名まえをあきらかにすること、その方法を見つけだすことに費やされるんだ」。
ここで語られているのは、人間が生きるということにまつわる、とっても大切な話。同時に、作者のル=グウィン自身の「なぜ書くか」ということにまつわる自問自答の答えの一表現なのだろうと思う。
ル=グウィンはさらにゲドにこう語らせる。
「(うさぎの真の)名まえを呼んで、ここへ来させることはできるよ。だけど、あんたはそうやって呼び寄せたやつをつかまえて、皮をむいて、火にあぶることができるかい? ひもじくてたまらない時はできるかもしれないが。しかし、それは、信頼をぶちこわすことだよ」。
信頼を知らぬ者、ないがしろにする者は、真の名まえも真実の言葉も知るべきではない。それは災厄のもとだから。信頼なくして言葉を操ってはならない。信頼がないのに、でも信頼が欲しくて、真の名まえを教えたり知ろうとしたりするべきではない。名まえを手段にしてはならない。安易に教えるほうも教わるほうも、災厄のもと。どんなにひもじくても信頼を喰って生きるわけにはいかない。
でも、そう言いながらも……。