5月11日午前。鹿児島鹿屋の星塚敬愛園資料室で、詩誌「らい」を読む。らい詩人集団によって1964年8月に創刊。らい詩人集団には、昨年3月草津の栗生楽泉園に訪ねていった詩人谺雄二さんも参加していた。
創刊号巻頭に置かれた宣言。
一.私たちは詩によって自己のらい体験を追及し、また詩をつうじて他者のらい体験を自己の課題とする人々を結集する。
一.私たちは、私たちの詩がらいとの対決において不充分であり、無力であったことをみとめる。なぜそうであったかの根を洗いざらし、自己につながる病根を摘発することから、私たちは出発するだろう。
一.私たちは対決するものの根づよさをようやく知りはじめたところである。それは日本の社会と歴史が背負いつづけた課題とひとしいものである。だから私たちはらいに固執するだろう。なぜなら私たち自身の苦痛をはなれて対決の足場は組めないから。
一.私たちの生の本質と全体性としてのらい、との対決への志向が集団の最低限の拘束である。
サークルと詩誌をその拠点としよう。
上記の宣言中の「らい」を「闇」と置き換えて読んでもよい。「闇」と置き換えて読んだなら、同時に「光」と置き換えて読むべきでもある。
「闇」にも「光」にも取り囲まれ、自らのうちにも「闇」と「光」を抱えもつのが人間であるということ。人を苦しめるのは「闇」だけではない。人を救うのは「光」だけでもない。4日間敬愛園とそのまわりをうろうろ歩き、行き交う声に耳を澄まし、すれ違う人々を見つめていて、つくづくとそんなことを思ってもいた。
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「らい園での言葉について」 沖三郎作 (「らい」第7号 1973年9月刊)より。
らい園はねむたくなる
らい園はねむりたくなる
うっかりすると未来永劫ねむってしまいそう
秋もようやく深まろうとする季節
里帰りの話合いで島にきた県の担当官は
景色の良さをほめてかえったが
それから数日後
美しいはずの瀬戸内海で
大根を浮べたように 沢山のボラが
白い腹を空にむけて浮んだりした
この国の科学の粋を結集し 世界に誇るという
新幹線
三十年をらいに生きて帰る車窓
故郷と名のつく生れた土地にちかずくほど
らいの重さが体を圧してくる
富士五合目の休憩所
自動車のバックナンバーは他県のものばかりなのに
おれの生れた土地の人たちの瞳にみえて
見栄も外聞もなくかくれたくなったおれ
“らいは治る病気!”
“差別をなくせ!”
“人間復帰!”
それらのくりかえしていた言葉は
あのとき どこへいってしまったのか
らい園での言葉はねむってしまいそう
らい園は言葉をねむらせる
うっかりすると
腹を天にむけて浮ぶボラの眼のように
私たちの言葉は
白く濁らされてしまうものの中に生きていることを
故郷と名のつく土地の重さが それは
おれに知らせるのだった
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そもそも、人間というのは、うっかりすると、どんな言葉も眠らせて、知らず知らず繰り返し眠らせて、そのうち言葉と一緒に自分も眠り込んでしまったことにも気づかず、夢のなかで生きて死んでいくような存在でもあるらしいから、常日頃、眠れない、眠りたくないと言っている私自身の言葉も、既に睡魔に襲われたあとの言葉であるような気がしなくもない。
だから、自分をたたき起こすひそかな宣言を繰り返して、その宣言自体も眠り込んだ言葉に乗っ取られないよう、繰り返したたき起こす…。
難儀なこと。