もやもや

『大人にわからない日本文学史』(高橋源一郎 岩波書店)を5日目まで読む。(7日目まである)。『時代閉塞の現状』を書いた啄木と『「丸山真男」をひっぱたきたい―三一歳、フリーター。希望は戦争。」を書いた赤木智弘を重ね合わせて論じるところなんかは、なるほどなぁと思いつつも、同じように、一葉と綿矢りさを重ね合わせてリアリズムを語るくだりになると、お話としては面白いけれどもリアルには響いてこなくなる。それはここで語られている綿矢りさがあくまでも高橋源一郎綿矢りさで、綿矢りさ単体で読んだ時とは全く別モノの印象を受けるからのような気がする。綿矢りさを語ることで、高橋源一郎綿矢りさを読み替え書き換え、自分の作品にしてしまっているんじゃないかしら、とふと思う。それはそれで、すごい。

『蜜のあはれ』再読。をぢさまと金魚の会話。妄想と官能と稚気がもやもやと立ち込めるお話。
『蜜のあはれ』をめぐって室生犀星は言う。「書くのに破廉恥な事とか、きまりが悪く、あまつたるいこととか、文章には表現出来ない顔や性質とか、さういふ種類の物が作家のまはりに霧や靄となり、もやもやになつて何時も立ちこめてゐる。それらは或る小説の或る機会にうまく融け合ってくれるもやもやなのである。このもやもやを沢山持ち其処から首を浮べて四顧してゐる者が、作家といふものだと言えさうである」


もやもやはわが周囲にもあれど…。


↓は、『イリオモテ』の詳細情報。
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