微熱。
ひとりの人間の内側に相矛盾するAとBという心情、もしくは行動がある。その矛盾に立ち向かうときの3つの作法。(いや、もっと多いかもしれないが、とりあえず、ざっくりと3つ)。
1.AとB、どちらか理解できるほう、言語化できるほう、つまり、扱いやすいほうのみを現実として受け取って、もう一方は現実から消去する。(ウィトゲンシュタイン的?)
2.AとBのアウフヘーベン。(弁証法的? 古いな…)。じゃ、脱構築するか…。と言いつつ、やり方がよくわからない。
3.AとBが生まれくる混沌かつ根源を見つめる。(メタレベル=超越論的な次元から、現象学的に、本質にアプローチする)。言うは易し、行なうは難し……。
現象学といえば、フッサール。
フッサールは、客観世界を経験的に認識することによっては『現象の本質』を認識することはできないとする。本質直観によって『経験的な不純物』を排除(エポケー)した先験的な認識による『現象の本質』のアプローチを考えた。メタレベル(超越論的な次元)から先験的に直観しようとする試み。
超越論的:『自己の有限性・限界性・相対性』を認識した上で、その自己の限界をメタ次元から超越しようとする試み。具体的には、『現実世界の自己の立場や属性』を考えずに『一般的・普遍的・根本的な思想的態度』を取ることを意味する。つまり『自分だけにしか通用しない個別的な事情・立場・属性』といった経験的な事柄に左右されずに、『誰にでも通用する一般的・普遍的・絶対的な立場』に立って物事を考えようとする態度のこと。
エポケー=判断停止:経験的に獲得される『不純物(先入観・偏見・固定観念・既成概念)』を排除して、純粋な認識機能によって『事象そのものの本質』を直観しようとする態度。
なるほど、なるほど。
でも、心地よい微熱のときには、カミュの世界がより身にも心にも馴染む。『シーシュポスの神話』。扉のエピグラフは、ピンダロス祝捷歌第三。
「ああ、わが魂よ、不死の生に憧れてはならぬ、可能なものの領域を汲み尽くせ」
外では早くも蝉が鳴いている。