佐渡

ここ数日間、発熱中。37度台をふらふらと体温が上下。上がるなら上がる、下がるなら下がる、はっきりしてくれないかな……。発熱の仕方まで本人の性格に酷似しているような気がしなくもない。

布団にくるまり「佐渡金山」(磯部欣三 中公文庫)を読む。佐渡の歴史の掘り起こしに生涯を賭けた著者のこんな言葉に打たれる。「文献というものにつくづく飽きて、そのひとに会いたい、対話したいという衝動に走ることがある。(…中略…)文献というものが頼りなくて、空しくて、よく墓地へ出かけた。そのひとの墓石、形態、戒名と向かいあって、空しい対話をする。空しいが、対話したような気持になって、安らいで帰ってくる」。

秋の夜はながいものとは、まんまるな月見ぬ人の、心かも、更けて待てども来ぬ人の、音づるものは鐘ばかり、数うる指の寝つ起つ、わしゃ、照らされているわいな

これは金山の水替人足として佐渡送りにされた無宿者の作とされている端唄。

今週末は佐渡へゆく。