なぜ書く? 

2月に越すつもりで、部屋探しをしている。物件にあたっていくと、いろいろなことがある。
こんなきれいで広い部屋がこんなお手頃な値段? と不可思議に思っていた物件は、同じ階の別の部屋で硫化水素自殺があったために値が下げられている、と不動産屋さんが言った。今年も自殺者が3万人を越えたという数日前の報道が頭をよぎった。3万人という大きな数字の塊になってしまうと、その恐ろしさもとりつくしまのないほど無機的なものになって、つまりは怖くもなくなってくるのだが、具体的に、どこそこの部屋で、どんなふうに、と個別の死について知らされると生理的に怖い。その部屋から無言の死がにじり寄ってくるようで、むしょうに怖くて、むしょうに哀しい。しかし、<むしょうに怖い、むしょうに哀しい>×3万名=怖くない、になる理不尽。両手の指の数を越えてしまったら、人間はきちんと恐怖や苦しみや痛みや哀しみや喜びを感じることが難しくなるのではないか。そんなことをふと思った。
最近の物件は、一口の電気のレンジが備え付けのがやたらと多い。<ガスレンジ可>は、昭和の物件が圧倒的に多い。つまり、かなり古い。一口の電気のレンジなんかじゃ、まともな料理はできない。それは、家できちんと作って食べる、という生活を前提としていない。にわとりが先なのか、卵が先なのか、よくわからない話ではあるけれど、(料理しないから一口電気レンジなのか、一口レンジだから料理しなくなるのか……)、ともかくも、平成の店子たちの(平成庶民)の暮らしのありようは、一口電気レンジに象徴されるようにも感じる。日常の食が貧しくなっていけば、日常の生もまた貧しくなっていくようにも思う。貧しさに慣れてしまうと、貧しさに鈍感になっていく。死に鈍感になっていくように。
私はガスレンジが使える物件を探している。


詩を読む。
「はるのうた」 (コンスタンチン・トロチェフ 栗生楽泉園にて 1967年)

せかいの王
はやく こい!
あたたかい日を つれてこい!
おまえのちからで せかいを おこせ!
お前の光で くるしみを なくせ!
あかるい しんじつのみちをみせておくれ!
この さむい

     ながい
       くらい
       ふゆのあと

トロチェフは白系ロシア人ロシア革命を逃れて日本に逃げてきたロシア人貴族の末裔。たどたどしい日本語で詩を書いた。ハンセン病の療養所では多くの詩が生まれた。日本人からも、韓国人からも、ロシア人からも。なぜ彼らは書いたのか。

来年早々にも、草津の栗生楽泉園に、ある日本人の詩人を訪ねてみようと思っている。