死に切って、生きる

ハンセン病文学全集4 記録・随筆」に収められている「地面の底が抜けたんです」(藤本とし:邑久光明園)を読む。藤本としさんは、明治34年東京生まれ、大正8年に十八歳で発病、昭和23年失明。

「あれから(失明してから)25年もたったんですねえ。 
 今になって、盲人の笑いというのが、ほんとにわかるような気がします。あたしも晴眼の時には、ほんとうの笑いというのがわからなかったと思います。ほんとに真実死に切って、はじめて笑えました。自分をほんとに殺してしまって、それまでの自分をほんとに捨て切ってしまえなかったら、笑えません。 
 なんてますか、人間というのはうぬぼれが強いもんですからねえ。それですから、自分の状態が、目が見えなくなるというようなことで変わりますと、目が見えていたことで持っていたものを捨てにゃならんのです。ならんのですけど、それがなかなかむずかしいのです。…(中略)… 
 死に切るというのは、まあ、言ってしまえば、苦しさであれ、悲しさであれ、徹底してひきうけるってことですかねえ。逃げきれるものなら逃げますけれども、もう、どっちむいたってどうせ苦労なんですもの、同じ苦労なら、いやいややったってしかたがないんです。それまでをすっかり捨て切ってしまって、いっそおもしろくやってやろうと……そうでなければ、グチだけが残ることになります。だけど、捨て切るっていうのは、なかなかのことじゃありません。 
 あら、あたし、ずいぶんおこがましいことを言ってますねえ。だけど、これだけ日にちが経ってからだんだん考えられてくるんですよ。今だから、この歳になってから言えるようになったんですよ。ごめんなさいまし。 
 闇の中に光を見出すなんていいますけど、光なんてものは、どこかにあるもんじゃありませんねえ。なにがどんなにつらかろうと、それをきっちりひきうけて、こちらから出かけて行かなきゃいけません。光ってものをさがすんじゃない。自分が光になろうとすることなんです。それが、闇の中に光を見出すということじゃないでしょうか。自分のつらさを聞いてもらいたいというより、どんなことでも、他人さまのことを聞くという……他人さまのほんとうのつらさを、真実その身になって聞いてさしあげる。これは、ほんとになまいきですけど、ひとつの施しです」