absent-minded 上の空

最近忘れっぽい。そもそも覚えない。隣のおばさんの顔がどうしても思い出せない。引っ越してきたばかりの私がまだ洗濯機を持たないことを察して、「うちのを使いなさいよ」と言ってくれた、出会いがしらのその一言で強烈な印象を残したおばさんなのだが。(ありがたいことではあるが、さすがに隣んちの洗濯機は使えません)。

考えて忘れるのではなく、忘れた頭で考えるのが順序である、と言うのは外山滋比古。ものを考えている人間は「よく忘れる頭」をもっていると。上の空で、absent-minded で考える。

ひっくり返して考えたほうが実は適切と思われることは、数多くあるかもしれない。たとえば、私は、長らく鸚鵡のように、条件反射のように、「書いて、生きる」と唱えてきたが、「生きて、書く」が本当かも知れぬと、ふっと今さらながら思う。そうして「生きる」をあらためて意識すると、それがとてつもなく難しいことのようにも思えたりする。ああ、でも、まずは生きなくちゃいけないんだ、と若者のように呟いて、若者のように途方に暮れてみたりする。もう若くもないのにさっ、と元気に悪態をついてみたりもする。

いろんな雑念をもてあそんだり、雑事に好んで振り回されたりしていると、自分に課している一日たった5ページのノルマがかぎりなく高いハードルのように見えてくる。ええい、もう、このハードル、蹴り倒してやろうか、蹴り倒して駆け抜けて逃げてやろうか、と猛然と思い始めた頃には、仕事はもう上の空。