空白で、つながる

済州島4・3事件 (1948年4月3日〜1954年9月21日)
軍・警察・極右青年団によって虐殺された人々は2万5千〜3万名。
つい最近まで、済州国際空港滑走路脇の土中にも、数多くの犠牲者が埋められたままだった。
語りえぬ記憶とともに埋められた死者の魂を慰め、鎮めるために、済州島では神房(シンパン:韓国の巫堂<ムーダン>の済州島版)が祭祀(クッ)を執り行う。島のあちこちにある発掘現場でクッが執り行われる。こんなにたくさんの魂をどうやって鎮めるのだろうかとふと思い、祈りは数の問題なのではなく、強さと真摯さの問題なのだろうと思いなおす。


4・3の詩を書く島の詩人と話した。
プスロ クスル ハンダ (筆で 魂鎮めを する)


そう言いながら、そうか、そういうことなんだと、ふと気づく。
たとえば4・3を経験した詩人は4・3を書けない。書けないのは、たとえその身は生きていても、4・3で殺された魂がその身のうちにあるから。魂はまだ鎮められることなく、そこにあるから。痛みに言葉を失ったままの魂を、いまだ内に抱え込んでいるから。だから、4・3を知らぬ私は祈る。4・3を知る無言の魂に向けて。それもまた「プスロ クスル ハンダ」である。それは、語りえぬ記憶を、引き継いで生きるということでもある。

語りうる記憶を引き継ぐことはたやすい。語りえぬ記憶を引き継ぐこと、そして語り伝えること、そこにこそ、記憶に向き合う意味があるようにも思う。このごろ強くそう思う。

人間の記憶はその多くは語りえぬ空白で埋められていて、人間はその空白で結ばれているような、そんな気すらしている。