メモ  ライと朝鮮

日本の近代化驀進のために犠牲にさせられた二つのもの、それがライと朝鮮だ、と詩人・村松武司は繰り返し言い続けた。(森田進『魂の癒しという最大の主題 ―「ライ文学」』より)

森田進著「詩とハンセン病」を読んでいる。この本を読んでよくわかったこと―ハンセン病患者の詩の世界へと分け入り、交流し、栗生楽泉園の患者たちの詩作の拠り所となった『高原」誌の詩の選者となった人々<大江満雄、村松武司、森田進>は、いずれも日本近代の罪責について深くみずからを省みる人々であったということ。 


朝鮮の植民者の子であった村松武司は書く。

朝鮮においては、日本人で乞食はいなかった。馬車を引く人も荷担人もなかった。この当然で奇妙な現象こそ、やがて後に敗戦を境に引揚げを迎えるにあたって、日本人の総引揚げという奇妙な現象に重なり、符合してくるのである。/略/なんの抵抗もなく、朝鮮・「満州」など植民地から引揚げたのは、世界でただ一国、日本の植民者だけではなかったか。われわれのなかで、植民主義者はいた。植民者もいた。しかし、「植民地人」だけは生むことはできなかった。だからこそ、いっせいに植民地を捨てることができたともいえる。/とすれば、われわれ日本人とは、いったいどのような国民であり、民族なのか。


ライと朝鮮。

さてさて、私自身は、簡単に、この言葉を復唱するわけにはいかない。
村松武司や大江満雄や森田進が、その言葉に集約されるなんらかのプロセスをたどったように、私自身の道筋がなくてはならないだろう。
結論ではなく、道筋。きちんと自分の足で切り拓き、踏み固めてきた道筋。これが大事。