秘密に向かう

大阪に行ってきた。用件は二つ。一つは、6月末に娘が結婚するにあたっての、結婚式打ち合わせを兼ねた両家会食。親同士もほぼ同じ年令。両家共に母親はO型、他は全員B型。B型に囲まれて生きるO型の悲哀を母親同士しみじみ語り合う。

もう一つは、生野の観音寺で行なわれた済州島4・3慰霊祭。ここには行かねばならなぬという内なる声、予感に突き動かされて。

最近、つくづく思うこと。人が生きていくうえで、その途上には、いろいろな節目・境目・結び目・があり、そこに立つこと、そこにいることが、このうえなく大切な転機、分岐点になる場所がある。そこで出会うこと、そこでただ一緒にいること、それがこのうえなくかけがえのないことである結縁の場所があり、時がある。

4・3のほうへと心を向けるあるきっかけがあり、ほぼ四半世紀の間、ひどく気にかけながら、とうとう会えずにいた詩人金時鐘に、今年の初めに、これまたある機会を得て、意を決して会いに行った。この「意を決する」という感覚、説明するのがなかなか難しいのであるが、これはたとえば、慰霊祭が行なわれる生野の観音寺に行くことも、私にとっては「意を決して」、なのである。観音寺の慰霊祭のあとの二次会で、「なぜ来た? なぜ今まで来なかった?」という生野(猪飼野)界隈の人々からの韓国語での問いに、韓国語で「怖くて来られなかった」と率直に答える。ただこれだけのやりとりにも、言葉にはならない無数の思いが行きかっていて、言葉なくしてその思いを共有しているという実感は、その場の空気を温かいものにする。同時にそれはとてつもなく厳しいものであって、「で、ようやく、ここに来たおまえは、これからどう生きようとしているのか?」という、これもまた言葉にならぬ問いを突きつけてくる、そういう場でもある。そういう抜き差しならぬところに、我が身を置いている、そこから、また、自分の人生が動き出してゆこうとしているという予感に心が震える。

今の私にとって4・3に心を向け、4・3に関わる人・こと・場所に関わるということは、人間の生と死にまつわる秘密―そこにあることが分かっていながら、忘れてはいけないことを知りながら、それこそを語り伝えなければならぬのだととことん理解していながら、どうしても触れられない、開けない、語れない、空白として存在する記憶―に向き合おうとすることである。

金時鐘さんに会って、話して、少しずつ開かれ始めた心の通い路は、そのまま済州島への旅路へとつながってゆこうとしている。その道を自分の足で踏み固めながら、たどっていくことが、そのまま、私が生き抜いていく道を切り拓いていくことにもなるのだろうと思っている。
ただ独り生き抜くのではなく、秘密を語る言葉を探りながら、その思いを分かち合う人々とつながりながら生きてゆく、そういう道。

ここまで書いたところで、待ちつづけていた電話。静かなつぶやきの声。長いこと、互いに声だけを聞き知っていた人と、初めての出会いの時と場所を約した。