不覚をとる

東銀座シネパトスで「ここに泉あり」を観てきた。戦後すぐに群馬県の高崎に生まれた市民オーケストラが、人々に美しい音楽の音色を届けようと、何度も解散の危機に見舞われながら、幾多の苦難を乗り越えていくという物語。実話をベースに今井正監督、主演岸恵子岡田英次といった顔ぶれで、昭和30年に公開された音楽映画。全編を通して音楽が鳴り響いている。最後のシーンは山田耕筰指揮によるベートーベンの第九。

この映画を観たのは、市民オーケストラが音楽をたずさえて県内各地に演奏しにいく、そのなかに栗生楽泉園慰問のシーンがあるから。このシーンでは、鉄柵で健常者と患者のスペースが仕切られた講堂で、患者たちが音楽の調べにじっと聞き入り、指のない手(それを俳優たちが表現するために手袋をしている)や指の曲がった手で音の出ない拍手を必死に送る。この癩病院(映画の中での表現)のシーンは、雪の中の慰問、心から音楽を喜ぶ患者たち、心を込めて演奏する楽団員たちという情景と同時進行で、楽団のメンバーであるものの出産のためひとり町に残っている岸恵子が死も覚悟の難産で苦しんでいるという場面も進行していく。この映画のクライマックスシーンのひとつ。楽団も岸恵子もそれぞれに<命>に命がけで対峙しているのである。

さて、この映画、このシーンをどう自分のなかで整理をつけるか。要検討。

音楽というのはすごいな、と感じるのは、150分という長尺の映画なのに、飽きない、それどころか画面に聴き入るようにして観てしまうこと。利根の山奥の、おそらく一生に一度しかオーケストラの音楽など聴けないだろうと言われている子どもたちが、音楽に前のめりで聴き入り、オケの演奏に合わせて「赤とんぼ」を合唱するシーンなどは、不覚にも涙が出そうになる。音楽に心がさらわれている自分に、さらわれてから気づくという不覚……。

そういえば、楽泉園を訪ねた時、リハビリで病棟の廊下を歩いているおばあさんが、大きな声で、歩く自分を元気づけるように、「七つの子」を歌っていたのだった。