「あなたたちの天国」

翻訳カウントダウン。あと30ページ。結末に向けて、登場人物たちがここぞとばかりに、いよいよ激しく問いや思いや感情を吐露するものだから、精神的にくたくたボロボロにされる。

物語の舞台は、植民地時代にハンセン病者の楽土を目指して作られた韓国・小鹿島の療養所。そこで、繰り返し語られ、謳いあげられてきた患者の天国、患者の楽園の夢。背景には1960年代、軍事政権下の韓国の現実。

人間が人間に天国を作って与えることなどできるのか? 

もし人間の手で天国をつくりうるとするならば、それはいかにしてなのか?

いまここに天国と呼ばれているものがあるとして、それはいったい誰にとっての天国なのか?


この小説が韓国で書かれたのは、1970年代半ば。
「隔離」と「楽園の夢」。それがセットになって作られてきたのがハンセン病療養所の歴史だとすれば、その美しい楽園の夢の中に閉じ込められた人間たちの、出口なしの「支配と服従」の関係性に突破口を開こうとするのが、この小説。その語り口は、実に厳しい。そして、この厳しさ、このアプローチを、日本のハンセン病をめぐる文章のなかに見いだすことは難しい。日本では、むしろ、楽園の夢の中から語り起こされる甘い善意の声ばかりが目立つようにも思われる。たとえば、神谷美恵子の一連のハンセン病がらみの文章も、夢に足をすくわれているようにしか見えないのが歯がゆい。

ふと思うに、国民に楽園を約束する「軍事政権」の支配という現実があったからこそ、1970年代韓国において、小説家李清俊は、この厳しい声を獲得したのだろう。(もしくは獲得せざるをえなかった)。

石垣島の水牛老師から、貴重な映像入手の報が届いた。日本のハンセン病政策のはじまりの時点で、「絶対隔離」と「癩者の楽園」を主張し推し進めた光田健輔が、日本中のハンセン病患者を一つの島に集めて隔離する一案として出した「西表癩村構想」のための視察で宮古、石垣、西表を訪ねた旅の中で撮影したという映像が見つかったのだと。当時の島々のハンセン病患者の姿がそこにあるという。この視察の旅のあと、わけあって西表癩村構想は立ち消え、療養所は離れ小島や僻地に作られていくことになる…。入手された映像は、「隔離」と「楽園の夢」をセットにした日本のハンセン病療養所の長い歴史の、始まりの風景の、ひとかけら。
どうやら、来年のハンセン病市民学会の交流集会(開催地:沖縄)では、光田健輔の視察の旅のあとを追う「西表ツアー」が行なわれるらしい。