済州島には船で行く。

かつて戦前には、済州島⇔大阪航路があった。君が代丸という船が通っていた。島と大阪はダイレクトにつながっていた。戦後、船は通わなくなっても、島と大阪を結ぶ闇の航路は存在し続けた。
1948年、済州島であがった、南北分断へと突き進む南側の単独選挙反対の声と動きに対して、済州島を「アカの島」と呼んでそれを押し潰そうとする李承晩政権と米軍によって島民虐殺が引き起こされる。いわゆる4・3事件。
生きがたい島から闇船に乗って、島の人々が日本へと脱出する。1990年代に文民政権が誕生するまで、この4・3の記憶はずっと封じ込められ、記憶を封じ込められた人々は、その生き難さに、やはり島からの脱出を図る。
大阪・生野は、いわば、もう一つの済州島であり、在日の記憶は日本と済州島とをつなぐ4・3の記憶を見つめることなしには、大きな空白を残すことになる。
語りたくとも語りようのない凄絶な痛みを伴うこの記憶の空白を向き合うこと。記憶に向き合うと同時に、空白と向き合うこと。空白をいかに受け継ぎ、受け渡していくか、それを問いつづけること。

そんな思いをもって、済州島に向かう。済州島には船で行く。大阪⇔済州航路は今はないから、せめて、釜山から船で行く。今日、いよいよ出発。

ようやく荷造りが終わった。出発前にやるべき仕事もすべて終えた。

資料以外に持っていく気分転換本は…。なぜか、ボルヘス小沢昭一富岡多恵子。読むかどうかはわからない。そもそも旅自体が未知の書物でもあるから。その書物に向き合うので精一杯かもしれない。