クッ 굿

済州島の巫俗の研究者姜昭全さんの好意で、彼女が懇意にしている神房(=巫堂 ムーダン)が執り行うクッを今日一日、朝から晩まで観てきた。一週間行なわれるクッの、今日が3日目。

本日はまず午前中に「三公本縁譚」(前世についての由来と、その解決の過程を語ること)から開始。目が閉じている状態ゆえの悪しき前世を払い、目を開けて善き前世を迎えるための儀式。
つづいて、「本主本縁譚」:クッの依頼主の一族の謂れを語っていく。クッを依頼した一族の祖先に神房がいたことから、詳細に一族の由来が織り込まれて語られた。済州島方言ですべて語られるから、意味はほとんど取れない。ただ、一族の歴史として、東京、大阪、名古屋という地名が繰り返し出てくるのは分かった。済州島と日本のつながりの深さをつくづくと感じさせる言葉。この一族のうちのひとりが、大阪の生駒で神房をしていたという。

続いて、「初二公迎え」。神房がこの世とあの世の境の門を開け,神を招き入れる。(http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/shinku/shinku8.html ←用語解説はここ)。神房の語りと動きをリズムに乗せていく鉦、太鼓の打ちっぷりの素晴らしいこと!  音が呼吸をしている、生きている! 今まで聴いた打楽器演奏のなかでの文句なしのベストプレイ。(打楽器ライブを聴きに行ったわけではないのだが)。
本日の締めくくりは、「本縁譚」。その流れのなかで行なわれた「悪心花折り」では、神房が悪心の花(茅の束)を手にして、これをへし折ってやろうか、でもへし折ってしまったら、この世から悪心が消えて神房がクッをやる必要もなくなってしまう、そうなったら自分はおまんまの食い上げだ、さあどうしようと神房同士がコミカルな演劇的なやりとりを開始。それでも悪心の花をへし折るには賄賂が必要だと神房が騒ぎ出す。しょうがない、本主もクッを観に来ていた地元研究者も私も1万ウォンを神房が手にしている悪心の花の束に差し込む。これでようやく神房は悪心の花をへし折ってくれる。

とまあ、これが、長々と観つづけ、聴きつづけたことのほんの一部のざっくりとした報告。

神房はソ・スンシル(女)、キム・ヨンチョル(男)、カン・スンソン(女)。彼らは、済州島最後の巫俗の伝統を受け継ぐ最後の世代になるのではと研究者は言う。研究者自身も、自分たちよりも若い研究者が巫俗研究には手をつけない、自分たちが最後の世代と言う。済州島の共同体の世界観、人間観を象徴していたひとつの民衆文化が消えていこうとしていると。……。

4・3の記憶が封じられていた頃、4・3の犠牲者の慰霊のためのクッが政府の目をかいくぐって行われていたという。記憶の封印が解かれた後には、堂々と「4・3クッ」が執り行われもした。非業の死を遂げた者も男も女も分け隔てなくクッを執り行うのが済州島の流儀。陸地ほどに男性を中心に置いた支配の原理である儒教が巫俗に染み込んできていないと地元研究者。済州島でクッを行なえば、わざわざ「4・3クッ」というカテゴリーを作るまでもなく、4・3の犠牲者のない一族はほとんどないのだから、おのずと4・3クッにもなるとも。

クッの精神を持たない慰霊の場合、たとえば、4・3平和記念公園には、4・3において国家反逆者とされている人々は祀られない。