顎のある人生、ない人生

  
済州島の海辺の村、ウォルリョン里に、木綿布ハルモニが下顎を銃弾で吹き飛ばされてから、亡くなるまで、60年近い歳月を過ごした家を訪ねた。4畳半2間の家。締め切られていた家の中に入った瞬間にモワッとした空気に包まれる。遺影にお線香をあげようとして、備え付けのマッチの箱を開けてみれば、びっしりとカビ。遺影に向かって、2回、額づいて礼をする。
備え付けのテレビで、ハルモニのドキュメンタリーを観た。
顎のない口で食事をする姿を終生誰にも見せなかった。食べ物を噛めずに飲み込むから、常に胃腸の調子は悪く、すこししか食べられないから、栄養失調気味で、週に1〜2回は病院で点滴を受けた。隣家に行くのにも、強迫観念のように、必ず家の鍵を閉めた。何を守ろうとするのか、鍵を閉めずにいられない。顎が吹き飛ばされた現場であるパンポ里は、ウォルリョン里から車でほんの数分。しかし亡くなる直前まで現場に行くことはなかった。初めて顎をなくした現場に立った時、ハルモニは蘇る当時の記憶の次第に飲み込まれていき、やがて頭を抱える。恐怖に顔が歪む。

ハルモニの家を囲む石垣には仙人掌(サボテン)。
ウォルリョン里一帯は仙人掌の生産地で、海辺には仙人掌の自生地もある。海辺の食堂には仙人掌の赤い実を練りこんだ、赤い色をした麺がある。まあまあの味。

村の女たち5〜6名がひとつの建物に集まって、真っ赤な唐辛子を袋詰めしていた。百二歳のおばあさんがにんにくの皮むき作業をしていた。耳がとんでもなく遠いおばあさんの耳元で、大声で叫んで名前を聞いたり、年を聞いたり。おばあさんは、「朝から夕方までこの作業をしている、楽しいよ」と屈託なく笑う。足の爪には誰が塗ってくれたのか、可愛らしくペディキュア。村の女たちが、問いに答えて、「木綿布ハルモニは明るい性格だった。でも、誰とも一緒に食事をすることはなかった」。

海辺のかんかん照りの道沿いに、稲のように、ずらりと壮観な風景で干してある草の束はなんなのかと思えば、ゴマ。ゴマの茎には、小さなオクラのようなものが、沢山ついている。このミニオクラのなかに胡麻が詰まっているのか。初めて知った。

歩きながら、顎のない人生を考える。