ひそかな小さなはさみで、プツン

昨日、実に久しぶりに芝居を観た。『チェーホフ?!』(作・演出:タニノクロウ ドラマトゥルク:鴻英良)@池袋芸術劇場。『曠野』に始まり、『曠野』に終わり、終わりが始まりなのは、チェーホフをイメージのジャンプ台にした芝居だから、ま、そんなものか……。

困ったのは、演出家がたぶん確信犯で、予定調和をかき乱すような、不快な音をぎりぎり響かせること。あ”−−−、もう耐えられない、と思った瞬間に、ぷつんと音が消える、ちっ、確信犯め。チェーホフみたいに耳のいい妄想家にとって、世界は鳥肌が立つようなノイズに満ちていたのだろうか。

私は、中身はひどくお子様であるから、不快なノイズに包まれると、お子様たちが大音響のなかで深い眠りに落ちるように、気持ちよく寝る。その意味では、とても気持ちの良い舞台だったかな。

演出家が繰り出してくるイメージは、(まるで幻燈のよう)、説明を受けないと、(いやいやパンフで説明を読んでも)脈絡なかったり、陳腐だったりするのだが、(特にセリフが陳腐なんだ……、舞台では陳腐をむしろ陳腐のまま、これまた確信犯で役者に言わせたりするけど。ある意味、異化作用?)、どんなイメージであれ、そのイメージを舞台の完璧なパーツとなって生身の体で具現する役者たちの鍛え上げた身体に感服。すごいな、人間の体というのは、体の言語能力というのは……。

ああ、でも、きっと、舞台『チェーホフ?!』は、陳腐と妄想にまみれた文学の原郷の風景でもあるのだろう、だんだんそんな気がしてきた。いいんだ、意味なんか分からなくても、脈絡なくとも、陳腐でも、頭の中にいつのまにか埋め込まれている想像や妄想の「社会的に正しき回路」をプツンと切断する小さなハサミが、役者たちの体と光と影が作り出したあの幻燈のなかに潜んでいるなら。

明日は春節の中華街に。