そう言ったのは、荒川修作。
人間なんて、すべて借り物だ。そう言ったのも荒川修作。言葉になんかならないんだ、体で分かれよ、と体で吼える、荒川修作。命は自分の体の内側にあるのではない、人間は体の中に押し込められて生きているのではない、そういうわけにはいかない、命が生成しているのは、こことそこの「間」の「と」の空間であり、そこに漂う「気配」であり、「雰囲気」なんだと、(これは私の翻訳。でも、ほんとは言葉にならない。荒川修作のように吼えて吼えて「気」で伝えることができたらな……)。
そんなふうに吼える荒川修作の言葉と、徹底的に体に働きかけてくる荒川建築を映画のスクリーンの中に見聞きするうちに、だんだん自分の体とスクリーンとの間の境目が消えていくような、映画館の暗闇のなかいっぱいに自分が広がっていくような、妙な感覚。
自分、死なないような気がしてきた。
死なない自分、つながるいのち、そんな「気配」どものための言葉探しをしなくては。