腰を据える

わけあって新居に寄りつけず、しばし放浪生活をし、その間にウズベキスタンコリョサラム(=高麗人)で高麗新聞編集長のキム・ブルット氏を迎えての、「在日とコリョサラムの旅を語り合う会」の準備と本番をし、折りからの「在日外国人献金問題」で無性に腹を立て、時折ハコちゃん(=孫)の顔を見、(ハコちゃんは感情の動きがますますきめ細かくなってきて、その細かなきめをザラッと撫でるとウワンと瞬間的に泣いて怒ったり哀しんだり、まるで人間にようになってきた)、キム・ブルット氏を案内して訪れた川崎・桜本(在日集住地区)ではちょうどその日に「在特会」(在日の特権を許さない市民の会)が何かの抗議運動にやってくると聞いてさらに腹が立ち、そうこうするうち、ふっと自分の顔を鏡でまじまじ覗き込んでみれば、あらあら、放浪生活が身に堪えて、一気に老け込んでいる、なにしろ頭髪の白髪率が50パーセントアップ、目尻のシワ率30パーセントアップ、ふーーーー。

新居にしばしこもって、腰を据えて書くほうへと気持ちを向ける。

『かの冬、そして秋 僕の朝鮮戦争』(柳宗鎬著 春風社)を読む。戦記モノではない。窮極の状況で人間はどれだけ浅ましくなり、どれだけ孤独になり、どれだけ惑い、どれだけ弱くなり、どれだけ強くなるのか。戦時下の日常のなかで容赦なくあぶりだされる人間どもの本性を凝視する少年の眼。翻訳がやや拙いのがもったいない。

『建築する身体 人間を超えていくために』(荒川修作、マドリン・ギンズ)を読み始める。