猫三匹

言葉というのは不自由なものであると思う。この世に五体満足の言葉なんてあるのだろうか。なくした指の夢を見るように、見えない指がうずく、そんな疼きや痛みを言葉は語りうるのだろうか。


今日、書きとめた言葉。
「苦しまないと人生にすまない」(by南承之)  『火山島』金石範より

私たちも日本語のなかにあって決して自由ではないのである。 『越境の時』鈴木道彦より。


鶴見線に乗って、浅野駅まで行き、そこから仲通り商店街へと足を延ばした。横浜の中の沖縄、そして南米。商店街のリサイクルショップにはずらりと洗濯機、冷蔵庫、白物家電、たんす、テーブル。ああ、ここは出入りの激しい、旅人たちの町なのだろうなと、思う。バス停で鶴見駅行きのバスの時刻表を覗いていたら、「今さっき行ったばかりさ。バスは一時間に2本しかないよ」と沖縄の言葉の抑揚でバス停のベンチに坐っていたおばさん。ありがと、おばさん。

浅野駅には駅の主の猫三匹。