メモ: 60年代

1960年代にまつわる一つの証言。鈴木道彦の金嬉老裁判に関わっての言葉。


「とりわけ私たちがこの裁判にかかわるようになった六〇年代は、日本中に告発の言葉が充満している時期だった。そうした告発は、ときには人が自分を呪縛するものを断ち切って解放をなしとげるための端緒になるかもしれない。だが仮に告発の言葉がどんなに正当でも、すべての責任を他者に負わせる形でなされる告発は、必ず頽廃を招かずにはいないだろう。また告発を受けた側がただ相手の言葉を無条件に認めるだけでは、そうした反省が告発する者をいっそう巧妙に呪縛して、その主体をだめにする危険もはらんでいる。そのような難問に、私は最初のうちまったく備えを欠いていた。それが見えてきたのは金嬉老との苦いつきあいのおかげだった。私はこれを通じて、加害と被害、抑圧と被抑圧、差別と被差別、といった枠組みだけでは、民族責任などと言ってもまだ不充分であること、そこに同時に他者の主体と向き合う努力が必要とされることを知ったのである」(『越境の時 一九六〇年代と在日』 P213)


鈴木道彦の語る「否定の民族主義」を心に留める。