サン・テグジュぺリ『人間の土地』を読む。
「たとえ、その日の飛行が、幸福な旅である場合にも、空路のどこかの一端を飛行中の操縦士は、けっして単なる外景を眺めているわけではない。地と空のあの色合い、海上のあの風の足跡、暮れ方のあの金いろの雲、彼はそれらのものをけっして賞賛したりはしない、彼はそれらのものを考慮する。自分の耕地の見回りをする農夫が、さまざまな兆によって、春の近づきを、おそ霜の脅威を、雨のもよいを見てとると同じく、職業操縦士もまた、雪の兆を、靄の兆を、多幸な夜の兆を見てとるのだ。最初は彼を自然界の大問題から遠ざけそうに思われた機械の利用が、反対に彼をいっそうきびしく、それらの問題に直面させることになる。自分に向って、暴風雨の空が結成する、広大な法廷にただ一人で立って、この操縦士は、自分の郵便物を、山岳、海洋、雷電と名のつくこの三つの、劫初以来の神々に対して争うのである」

外景に潜む兆を感受する操縦士。命がけの飛行。空を飛ぶのに必要なものは、地を生きるうえでも必要なもの。兆。