三十八度線

川崎・桜本、西の屋にて柏崎つながりの焼肉集会。私と同世代の柏崎生まれの方が二名(1965年生まれ男子、1962年生まれ女子)によれば、子どもの頃、柏崎では陣取り遊びを「三十八度線」と呼んでいたという。どうやら60年代、70年代は確実にそう読んでいたらしく、80年代生まれになると「三十八度線」という呼び名は知らぬという。同じ新潟でも新発田あたりでは「三十八度線」とは言わなかったという。いったい新潟のどこで、いつから、どのようにして、いつまで、陣取り遊びを「三十八度線」と呼んだのか。それを研究テーマとして、焼肉集会終了!

お二方の言うことには、柏崎生まれにとっては、「米山」という山は、まことに愛着の深い山なのだそう。米山といえば、『三階節』。この節は私も小唄でやったわいな。


米山さんから雲が出た いまに夕立が来るやら
ピッカラ シャンカラ ドンカラリンと 音がする
  ドンカラリンと 音がする いまに夕立ちがくるやら
  ピッカラ シャンカラ ドンカラリンと 音がする


柏崎から椎谷まで 会いに荒浜荒砂
悪田の渡しが 無きゃよかろ
  渡しが 無きゃよかろ 会いに荒浜荒砂
  悪田の渡しが 無きゃよかろ


可愛がられた竹の子が 今じゃ切られて割られて
桶のたがに掛けられて 締められた
  掛けられて 締められた 今じゃ切られて割られて
  桶のたがに掛けられて 締められた


蝶々トンボや キリギリス お山お山でさえずる
まつ虫 鈴虫 くつわ虫
  鈴虫くつわ虫 お山お山でさえずる
  まつ虫 鈴虫 くつわ虫


明けたよ夜が明けた 寺の鐘打つ坊主や
お前のおかげで 夜が明けた
  おかげで 夜が明けた 寺の鐘打つ坊主や 
  お前のおかげで 夜が明けた



柏崎には、「お弁と藤吉」の伝説もあるそうな。佐渡からたらい船で、毎夜、柏崎の男のもとに通った女がひとり。恐れをなした男(妻子持ち)が番神岬の常夜灯を消してしまったものだから、女は目標を失って難破して、そのなきがらは青海川の海岸に打ちあげられたという。この伝説から浪曲佐渡情話」は生まれた。

たらい船の情熱。


5月末までに仕上げるべく、ハンセン病にまつわる単行本の原稿手直し作業、地道に進行中。