なにもない

この一週間は、まことに慌しく過ぎた。
5月23日〜25日、石垣島西表島ハンセン病市民学会沖縄交流集会のオプショナルツアーに参加、西表島に幻の癩村構想の予定地を訪ねた。西表島大原港で、仲間川をさかのぼる遊覧船に乗り、両岸の猛々しい生命力に満ちたマングローブの林を眺めつつ、川の上流へ。癩村構想が実現していれば、島の西半分は地獄の西表炭坑、東半分もまた地獄の癩村。西表島で辿る、「何かを切り捨て、何かを不可視の領域に追いやることで成立した近代日本」の痕跡。

炭鉱も消え、癩村計画は幻で終わり、猛々しく緑が繁茂するだばかりの、いまはまったく何もない島の風景に何を観る? 何もないことが語りかける何かをどう受け取る?  


水牛老師宅から、1771年3月10日に石垣島を襲った地震と大津波について記す古文書を編んだ史料を持ち帰った。当時の死者およそ1万人、津波の高さは20〜30メートル。小さな島を襲った大きな災厄。


月刊『やいま』2011年5月号 「鑑賞・とぅばらーま」より。
天(てぃん)ぬ やふぴじぃり 大津波(うふなん)ゆあたりょうり あったら 命(ぬ)ちぃみぃーば 失(うしぃ)なようーりらー

意訳:天の災厄異変で大津波に当って、大切な命を失ってしまった。


柏崎の子どもらがかつて盛んに遊んだとい「38度線」遊び。方形陣地のじゃんけん陣取り型「38度線」と、円形陣地肉弾戦型「38度線」の二種類があることもわかってきた。しかも、今のところ、「38度線」遊びは柏崎の他では遊ばれた形跡がない。