はづべしいたむべし

5月31日に高史明さんにお目にかかり、3時間ほどお話を伺った。一九七〇年代の高史明さんのハンセン病療養所との関わりにまつわることを出発点に、話は親鸞、宗教、思想、人間、世界の認識、言葉を乗り越える言葉、等々、さまざまに広がっていった。
心に深く感ずるところがあり、初めて、まともに真宗の根本聖典教行信証』を読みはじめる。


序の言葉:ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり。

越えがたき言葉の縛りを超えていく言葉を求めて身もだえしながら親鸞が書き起こす言葉、そのはじまりの一言。
「難度海を度する大船」、途方に暮れるほどの果てしない海が眼前に広がる。


信巻より:まことにしんぬ。かなしきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚のかずにいることをよろこばず、真証の証にちかづくことをたのしまず。はづべしいたむべし。

↑これは、言葉を尽くして真仏弟子となる喜びを述べたその瞬間にこぼれ出る悲痛な人間の声。