距離に立ち向かう

ユダヤ人大虐殺の証人ヤン・カルスキ』(河出書房新社 ヤニック・エネル著)を読む。

ヤン・カルスキは実在の人物。ポーランド人のレジスタンス運動家。ヤン・カルスキというのっはコードネームで、実名はヤン・コジェレフスキ。しかし、彼はコードネームで生きるほかない、伝えるという「使命」を背負って生きてきた。彼の「使命」とは、ナチス・ドイツに虐殺されゆくユダヤ人の言葉を連合国へと運ぶこと。しかし、連合国の指導者の誰も彼が運んできた言葉を聞き入れることはなく、強制収容所ユダヤ人は救済されなかった。そして、戦後、長きわたる沈黙のなかに言葉を閉ざしたヤン・カルスキは、一九七八年にクロード・ランズマンのインタビューに応じ、映画『ショアー』のなかで聞き入れられなかった彼の「言葉」を、そのごく一部ではあるが、伝えている。作家ヤニック・エネルは、戦後の長きにわたる沈黙のなかのヤン・カルスキの声に聞き入り、ひとつの文学作品として、言葉を越える言葉として書き付ける。


「ひとたび人生でメッセージをもたらす使者となった者は、永遠に使者でありつづけるのだ」
「すべての使者にそれは起きることなのだが、自分自身がそのメッセージになったのだ」P119


「いつの世でも、メッセージは常に遅すぎるものだったのではないだろうか?」P120


(メッセージは聞き入られず、戦争は終わり、食い止められなかったユダヤ人大虐殺が明るみになったとき)「僕は自分がもはや使者でなくなったことを理解した。僕は別の種類の人間、証人になったのだ。人々は僕の話を聞いていた。もう誰ひとりとして、僕の言うことを疑わなくなった。なぜなら、証人とは人が信じる信じないの範疇になく、生きた証拠なのだ。僕はポーランドで起きたことの生き証人になった」P147


「したがって、人々は僕が語ることを妨げなかった。その反対に、できるかぎりたくさん語らせた。毎晩、僕の中で言葉が疲労困憊し、世界のあらゆる言葉と同様に、ひとりでに価値を失うまで」P148


「その晩、ハシディズムの言葉を伝えるときに彼の顔に浮かぶ、茶目っ気のある独特の謙虚な表情で、ヴィーゼルは僕に言った。「言葉によって、言葉に生命をよみがえらせることができる」。この表現に僕は目をみはった。復活のことを言っていたからだ――復活を可能にしていたからだ。そしてまさしく、僕が再び言葉を発するようになったとすれば、それはひょっとしたら証言するためでも、記憶を忘却に打ち勝たせるためでもなかったのかもしれない。僕は、復活と人が呼ぶ、記憶よりもずっと巨大なものの名において、再び言葉を発したのだ。僕の言葉が使者に再び生をもたらすと思ったから、僕は語ったのだ。語るとは、死んでしまったものすべてを生かすこと、灰に再び火をともすことだ。語るのを止めなければ、言葉が僕たちの存在のほんの小さなかけらとぴったり一致することができれば、そして、ひとつひとつの瞬間が言葉だけになったら、僕たちの中に死のための場所はなくなると思う」P184


「処刑柱から三メートルのところにいようと、数千キロ離れていようと、距離は同じだ。なぜなら、生きている人間が殺される人間に対して距離を感じた瞬間から、その人は卑劣を体験するのだから。殺される人々と僕たちを隔てる距離の名前、それは卑劣だ。そして、生きるということはつまるところ、この距離に立ち向かうやりかたでしかないのだ」P187