なぜ?

陸前高田の松の行方を思うと、腹立たしさより、この社会の行く末がひどく恐ろしいものに思えてきて、不安になる。

専門家が焼いたところでなんら問題はないと言っている松の薪を、どうして抗議の声の大きさだけを判断の材料にして、焼かないという結論を出すのだろう?  

感情で物事が決まっていくことが当たり前になってしまったら、どんなことでも感情で決める回路がいったん出来上がってしまったら、まともな思考や批評精神というものはどんどん力を失っていく。

陸前高田の松の放射性物質がそんなに心配ならば、あわせて、自分自身の生活のなかに既に入り込んでいる放射性物質について、もっともっと心配したほうがいい。そういう心配のもとを作り出したものはいったい何なのか、誰なのか、一度根本的に考えたほうがいい。