やっぱり、ここがいい

陸前高田高田保育所の園長先生から、写真集『未来へ伝えたい 陸前高田』が届いた。
「想い出の陸前高田」「2011.3.11」「津波の爪痕」「被災前・被災後の姿」が市民の寄せた写真で構成されている。私は被災後の陸前高田しか知らない。被災前の失われた風景を胸に刻むようにして見た。

表紙をめくると、美しい海辺の風景に、詩が一編。

おらぁやっぱりこごがいい
津波で全部なぐなっても
地震でぼっこされでも
やっぱこの街が好ぎだ
やっぱこごに居たい
こごぁ一番だ
二度と同じけしぎぁ見れねぁども
二度と同じ建物ぁただねぁども
おらどの目にぁしっかり焼ぎついでいる
わっせるごどねぁ あの景色
おらどの街
やっぱりこごがいい



同じに日にもう一冊、『ろうそくの炎がささやく言葉』(管啓次郎野崎歓編 勁草書房)をチョン・ヨンへさんからいただく。3月11日三河島で一緒に地震に逢い、一緒に帰宅難民になったチョン・ヨンへさんが「帰りたい理由」という文章を寄せている。同じ時を過ごしたチョンさんが書くあの日のこと。あの日が呼び起こした思い。

「確たるアイデンティティがほしい」という人がいますが、私は「帰れる故郷がほしい」と切に願っていました。私には「帰る先」としてだけでなく、「そこから抜け出たい場所」としての故郷もありませんでした。ただ成り行きと風向きで着地したところに、深く根を張ることもなく、生きる、だけ。
 どこでも生きられるけれど、どこにも帰れない。いや、どこにも帰る場所がないからこそ、どこででも生きていかれるようになったのです。そんな精神的な流浪生活にも、今ではすっかり慣れてしまいました。
 朝鮮語では「亡くなる」ことを「お帰りになる」と言います。私もいずれどこかに帰ることになるようです。信じてやまない温かい人々の手の中に全ての忘却を解き放ち、そっとゆっくりと一歩一歩、自分をかみしめたいのです。いつかそっと眠りに落ちて、無に帰するならば、それはそれで楽しみな気すらするのです」

これは、チョンさんが、三月十一日、帰宅困難者たちの不気味なくらい確かな歩みを見ていて、“帰る”という行為の不可思議さに魅了されて書いたという文章の最後の部分。それは私の声でもあるような気がした。


同じ日に届いた2冊の本。『未来へ伝えたい 陸前高田』はせつなく、でも温かく、『ろうそくの炎がささやく言葉』に寄せられた「帰りたい理由」はせつなくて、さびしくて、でも、独り、すっと、立っている。

独りで立つ。静かな覚悟。