福島⇔柏崎

今さらながら、図書館で原発関係の本をごっそり借りてきた。先週、柏崎刈羽原発の見学に行き、福島から柏崎に避難してきている方々の話も聞き、ちょっと簡単には言葉にはできないものが心のなかに渦巻いている。

新潟県内で福島からの避難者が一番多いのは柏崎。福島と柏崎を結ぶ見えない太い道がある。


技術者の話を聞いてよくわかったことが一つ。これもまた今さらながらの再認識だが、科学技術の実用化はつねに「想定内」のものでしかありえないということ。所与の条件ありき。考えるべきことははいここまでよと線を引く。
わからないことはやってはならない、それが技術者のモラルという言葉を柏崎刈羽原発では聞いたのだが、それもまた「想定内」という所与の条件のなかでのお話に過ぎない。想定外の事故だったなどというのは、まったくもってナンセンス。そもそもが事故が起きれば、すべて想定外になるほかない。「事故」という言葉のなかには既に「想定外」は内包されている。
どこで線を引くのか。誰が、どう決めるのか? 
技術者さんたちが言うには、それを決めるのは自分らではなく、自分らは与えられた条件のなか全力を尽くすのが役割であると。ふんふんふーん。