被災地に本を届けようと思った。本好きの仲間や友人知人にも声をかけた。子どもたちへの絵本や画材の支援は震災直後から動き出していたけれど、そうだ、子供たちを支え育む大人たちだって本が必要、言葉が必要じゃないかと、ふっと思ったのが始まりだった。被災地の大人に実際に尋ねてみた。この頃になって、ようやく本に向き合える精神状態になってきたとその人は言った。本を買うためには内陸まで行かねばならないのだとも言った。うん、本を届けよう、言葉を届けようとあらためて思った。本で、言葉で、あらためて確かにつながりなおそうと思った。
でも、困ったことになった。どんな本を届ければいいものやら、私だけでなく、賛同してくれた誰もが悩み始めた。心に傷を持つ人、痛みを持つ人、深い悲しみを抱える人、そんな人々に贈る言葉、贈る本を私たちはどうしたことか思いつけない。これぞと思う本ほど、深い悲しみや痛みがその奥深いところにあるようで、その悲しみや痛みが被災地の悲しみ痛みに響きあってさらなる悲しみ痛みをもたらすようにも思われて、身がすくむ。
心温まる本、生きる力をくれる本、などという本の帯の言葉や、薄っぺらい感動を謳うキャッチコピーは巷にあふれているけれど、本当に心温まる本、本当に生きる力をくれる本はいったいどこにある? この世に生きる人間にとって本当に必要な本は、そう多くはないんだろうとも思われた。
なにより私は自分の書いた本は被災地には持っていけないとつくづく思った。書くということ、言葉を紡ぐということを根本的に考え直さねばならないように感じた。切実に。痛切に。
つながる言葉を私たちは生み出せるのだろうか。