声音

石牟礼さんが「声音」と題したエッセイでこんなことを書いている。

「もう三十年くらいも前、天草下島の深海で、百歳を越えたおじいさんから話を聞いたことがある。/男たちが入営したり出征したりする“兵隊別れ”のときとか、いたいけな少年少女が島を離れて見知らぬ他郷へ働きにゆくとき、村の前の入江を小さな舟で、凪のときなら七遍漕いで回ってゆく。舟にも岸辺にも太鼓三味線を置いて、別れの唄を唄い合うのだそうだ。どのような唄だったか、聞いておかなかったのが悔やまれる。/身を乗り出して、手を振り合う。これでおしまいというときは、互いに見納めと思うから、袖の涙を絞るほどだったとおじいさんは言った。聞こえるものは松に吹く風と波の音ばかりのところに、櫓の音がきしみ、三味が鳴り、誰の口からか、最初の声がう海面にひびく。ある時は縮緬波のように、ある時は怒涛のように起きた人間の声」

「日本人の時々の感情をあらわす声音はずいぶん変わってきたのではないかと、このごろしきりにおもう」

島から旅立つ舟は、唄で送る。石垣島でもそうだったと思い出す。

祈りをともに送られくる声を耳に刻んで、人は旅に出る。