「沈黙するための言葉」

石原吉郎曰く、
「詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、沈黙するためのことばであるといってもいいと思います。もっとも語りにくいもの、もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、ことばにこのような不幸な機能を課したと考えることができます」

「日常の次元で逆にことばを失っていく、その失った部分を詩によってとり返していく」

(横浜のみなとみらいで花火が次から次へと花火が打ち上げられている。我が家からはビルの陰になって見えないが、ビルの間に間に音が反射反響して、まるで爆撃を受けているような凄まじい音に包まれながら、本を読んでいる。天を揺るがすように一気に広がる花火を耳で観ている。揺れた。いま。)


「自分自身の<とりあつかい方>をおぼえること」

「僕の、どんなにしても消え去ることのない願いを要約するなら、どのようにしても生き生きと生きる人間(ein lebendig Mensch)になりたいということである」